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タイラダイスケ(FREE THROW)【生活と音楽 Vol.15】×マツザカタクミ(Awesome City Club)(前編)「普通」からの逸脱願望から始まったマツザカタクミの「生活」と「音楽」
情熱とアイディアを持って「生活」と「音楽」を両立させている人にフォーカスを当てる対談連載「生活と音楽」。
第15回目となる今回はAwesome City Clubのマツザカタクミくんに話を聞いた。
マツザカくんは自分が知る人たちの中でも特に「生活と音楽」という事に自覚的に生きている人だな、という印象がずっとあった。この連載もよく読んでくれているようで、最近はたまに会うといつもそんな話になった。
そんな会話の中から感じたのはマツザカくんのクレバーさと、その中でのある種の悩みのようなものだったりもした。現状Awesome City Clubという人気バンドのメンバーとして「生活と音楽」を成立させているように見える彼の背景と考えに迫った。まず前編は彼のルーツについて。
Interview & Text:タイラダイスケ(FREE THROW)Photo: Rai Matsumoto
海外生活の中で芽生えた音楽への興味とホームシック
タイラ:今日はよろしくお願いします。まず今の年齢から聞きたいんですけど、今何歳ですか?
マツザカ:今32歳です。今年33になります。
タイラ:生まれとかはどこなんですか?
マツザカ:生まれは横浜なんですけど、すぐに親の…小学校は川崎で過ごして小学校の最後らへんにデンマークとスウェーデンに行って。中学校卒業するタイミングで帰って来て、そこからずっと東京に住んでるって感じですかね。
タイラ:大体3年くらい海外に住んでたってことだよね。親の仕事の関係とか?
マツザカ:そうです。だから全然…すごい行きたい!とかそういうんじゃなくて、強制的に行かされて、泣きながら行ったくらいの感じですかね。
タイラ:まぁ、普通は不安だよね。言葉とかね。で、高校の時に帰って来てからはずっと東京に住んでるって感じ?
マツザカ:そうですね。
タイラ:じゃあ音楽の話もあわせて聞いて行きたいんですけど、「音楽の目覚め」みたいななのはいつだったんですか?
マツザカ:初めて買ったCDが、確か…久保田利伸の、あの猿岩石を応援する曲「AHHHHH!」っていう曲だった気がしてて。その当時音楽番組っていっぱいあったから、普通にJ-POPとか受動的に沢山聴いてたんですよ。自分で本当に音楽を自分のお金で買いたいってなったのは、海外に行ったタイミングで、インターナショナルスクールっていう英語の学校、全世界から人が来る学校に通ってて、で、日本人が僕ひとりだったんです。ひとりっていうかもう日本語喋る人いない、みたいな。で、友達も作りたいなぁー、でも英語上手く喋れないなぁーって時に、図工の時間にOFF SPRINGの『Americana』がちょうどその時流行ってて、かかってたんですよ。で、割と“FUCK”とかそういう言葉が多いから先生が怒って止めちゃって。
タイラ:こんなの聴くんじゃねぇ!って(笑)?
マツザカ:その時に、隣にいて一番クラスで地味だったアイルランド人の子がいて、その子に「今の曲何て曲なの?」っていうの聞いて、そしたらOFF SPRINGだって教えてくれて。で、送り迎えの車移動の時にお母さんに「ちょっとCD屋でOFF SPRINGっていうの買いたいんだけど」って。そこからっすね。
タイラ:それが海外にいた頃だから中1?
マツザカ:中1とかそのくらいですね。そこから友達が「お前もこれ聴くんだ?」ってなって、今考えたら違法なんですけど、自分のCDをCD-Rに焼いて、デンマークは通貨をクローネっていうんですけど、20クローネでパキスタン人が学校でよく売ってたんですよ。ちょうどミクスチャー最盛期だったんで、ちょうどレッチリの『Californication』とかも出てて、そういうのを20クローネ、まぁ要は1,000円ちょっとくらいで…
タイラ:まぁまぁ良い値段だね!
マツザカ:あ、いや500円ちょっとかな。くらいで買ってて、そこからすごく音楽が好きになって、ちゃんと音楽っていうものと向き合った瞬間がそこかなぁ、みたいな。
タイラ:じゃあそのパンク、ミクスチャーみたいな、ちょっとヘビーなサウンド全盛期の時に、そこにズボッとはまったと。で、それは中学校っていうか海外に住んでた間、3年間ずっと続くって感じ?
マツザカ:GREEN DAYとかそういう…。
タイラ:だよね。その頃だとLimp Bizkitとか?
マツザカ:Limp Bizkitとかを聴きながら、まぁちょっとWu-Tang Clanとかもあって。
タイラ:ヒップホップもあったんだ?
マツザカ:ヒップホップもあって。でも、デンマークからスウェーデンに引っ越したら何人か日本人がいて、月~金はインターナショナルスクールに通ってて、土曜日に日本人学校があって。そこに日本人が集まるんですけど、新しく来た人がモーニング娘。のCDをいっぱい持ってて、小学校の時に、日本にいた時にモーニング娘。のこと知ってたんだけど、特に思い入れはなくて。で、若干日本に帰りたいなみたいな気持ちもあり、そのCDを借りてずっと聴いてたら、単純になんか、ヨッシー可愛いなとかそういうのがありつつも、つんく♂の曲がすごくいいなっていう風になっていって。
タイラ:なるほど。モーニング娘。はビジュアルっていうかルックスから入ってだんだんと音楽に興味が出てきたんだね。
マツザカ:そうですそうです。で、なんかこう、日本のこと思いながらベッドでイヤホンして、モーニング娘。の「I WISH」とか聴きながら若干泣く、みたいな(笑)。
タイラ:もうそれは曲が良くて?
マツザカ:とかなんか、ホームシックっていうか。時差だから、加護ちゃん何してんだろうな?みたいな。
タイラ:小学校まで日本にいた時にはすでにモーニング娘。はいたんだよね?
マツザカ:いましたいました。多分「LOVEマシーン」とかは聴いてたと思うんですよね。
タイラ:じゃあちょっと懐かしい感じ?でも日本を離れた後に出てる新曲を聞いてたのかな?
マツザカ:そうですね、ちょうど「ザ☆ピ~ス!」とか。今まで割とラウドな曲とか聴いてたから、あのハッピーさが異常に新鮮だったし、今思えば、いわゆるAWESOME CITY CLUBがやってるファンクネスとかソウルみたいな部分、あのウキウキする感じとかはそういう所から来てたりもするのかなぁ、みたいな。その当時(モーニング娘。の曲は)ダンス☆マンがアレンジしてた曲もあって、
タイラ:まぁすごくディスコティックで、景気が良さそうなサウンドだよね。
マツザカ:景気良くて、集団の女の子達が歌ってる感じの、底抜けなポジティブさ、みたいなのはすごいグッと来てたんですよね。
タイラ:独特なコーラスとか掛け合いとかが何とも言えず学園祭感みたいなのもあって。
マツザカ:だからレッチリとかまぁニルヴァーナとかを好きで聴きつつ…変に子供の時は学校の中でビートルズとか逆にダサいから聴かない、みたいなのがあったんですよ。僕もそんな感じで、ビートルズ聴かないのにモーニング娘。めっちゃ聴いてるみたいな、すげぇ謎な感じ、みたいな。
普通だった高校・大学生活からの「逸脱願望」
タイラ:なるほどなるほど。そういう日々があって、3年経って海外からいよいよ日本に戻る。で、日本に戻ったのはだいたい高校生くらいの時でしょ?
マツザカ:そうですね。高校受験の時に戻りました。
タイラ:高校の時とかは、音楽の趣味とかはどうだったの?バンド組んだりとかは?
マツザカ:最初は、帰って来て、まずみんながカラオケによく行ってて、最近の日本の曲全然知らないし、リンプビズキット歌っても盛り上がらないし。で、その当時ゆずとBUMP OF CHICKENをみんながすごいカラオケで歌ってたから、TSUYATAに行って、とにかくいっぱい借りて聴こう、みたいな。そしたらすごいゆずにハマって。実は初めて買った楽器はアコースティックギターで、ゆずのコピーを多摩川で友達とやってました(笑)。
タイラ:2人で(笑)?
マツザカ:2人で(笑)。そんな延長で学校の軽音部に入ろうと思ったんですけど、なんかそこがそんなに能動的にやってるようなクラブじゃなかったから、在籍したけど何もしないまま適当に時間が過ぎていって、あんまり音楽を演奏するみたいなのはほとんどなかったですね。
タイラ:聴いてる音楽は、カラオケで歌われるようなものを、なんとなく聴いてるっていうのが多かった?
マツザカ:そうですね。それプラス、海外の時に聴いてたもので、洋楽が好きなクラスの子達に「これいいよ」って言って、「こんなのもあるよ」って聴いてもらってた、みたいな感じですかね。
タイラ:それでそのまま高校は卒業?
マツザカ:あ、それで割とクラスが替わってくタイミングで出会いがあって。僕はゆずとかが好きだったから埼玉スーパーアリーナとかしか行ったことなかったんですよ。だからライブハウスってものは全然知らなくて。ある日の夏にGOING STEADYの「童貞ソー・ヤング」か何かが『COWNT DOWN TV』のランキングに入ってて、「これ何だろう?」って。それをTSUTAYAに借りに行って、「こういうCDがあるんだよね」って友達に貸したら、「俺も実は好きなんだ」みたいになって。で、ゴイステもうホントほぼ解散するみたいなタイミングだったんですけど。で、「実はこういうライブがあるんだけど行かない?」って言われたのがSET YOU FREEっていうイベントで。クラブチッタ川崎でやる、2,000円くらいで7時間くらいライブが観られるみたいなサマーフェスっていうのがあって。そこでサンボマスターとかフラワーカンパニーズとか…。
タイラ:オナニーマシーンとか?
マツザカ:そうそう。とかYO-KINGがソロで出てたりとか。そういう、所謂日本語ロックの文化に触れていって、割と高校生後半はずーっとそういうもの一色。プラス、ラップですね。Dragon Ashとかも好きだったから、そういう日本の中では結構有名なラップやってる人とかのも聴いてました。で、高校卒業する手前くらいにクラスの中で僕は所謂「普通な人達」だったんですね。人気者組でもないし、オタク組でもない。でも「普通な人達」で「何か残したいよね」みたいになって。
タイラ:一念発起したね、それ(笑)。
マツザカ:「なんか普通すぎて嫌だな」みたいな(笑)。で、そこでGOING STEADYのコピーバンドをやるんです。全校生徒が集まる“ミュージックフェスティバル”みたいなのがあるんですけど、そこで演奏するためにオーディション受けて、でもなんかそのままやると落とされそうだから、ちょっとポップな曲をやる振りをして、本番では(GOINS STEADYの曲を)やろう、みたいな。
タイラ:それって学園祭みたいなやつ?
マツザカ:学園祭とはまた別なんです。“ミュージックフェスティバル”っていう、1,500人くらい集まる講堂で音楽をやれる、みたいな。プロのPAさんとか入れてやれるから、すごく憧れの場所で。そこでライブ出来たんですけど、でもなんかギター叩きつけたりとかして、すごい先生に怒られて、みたいな(笑)。
タイラ:そんな事したの(笑)?「いきなり普通だったあいつらがそんなになった!」ってみんな驚くよね(笑)。
マツザカ:そうそうそう(笑)。反骨心が出たんだな、みたいな。
タイラ:すごい大人しかったのに!って(笑)。
マツザカ:っていうのがあって、で、そのまま高校は卒業ですね。そのメンバーの中の人達が軽音部に入ったから一緒に入ったりもしたけど、またそこでも幽霊部員みたいな感じでしたね。
タイラ:じゃあそのコピーバンド的なものはちょっとだけ高校の時にやったって感じだ?
マツザカ:そうですね。
タイラ:じゃあそのまま高校では結局本格的なバンドとかはせず。高校では新しくいわゆる日本語のロックやパンクを聞き始めて、海外で中学から聴いてたようなヒップホップ、ミクスチャーを日本でやってる人達を聴いてたりしたと。その後は大学?
マツザカ:大学っすね。学校がエスカレーター式だったんで、割とみんな一緒に上がっていって、いわゆる“内部生”って言われるんですよ、僕らの場合は。
タイラ:受験で入ってくる人と、そのまま(高校から)上がった人と、って事だよね。
マツザカ:外部生と、僕ら内部生。外部生の方が圧倒的に数は多いんですけど、外部生の人からすると、ちょっと内部生の方がリア充というか「金持ってんだろ?」みたいな。
タイラ:「楽して大学入ってきやがって」みたいな。
マツザカ:そうそうそうそう。でも逆に、割とみんな内部生の子って素朴だから、「よっしゃコンパしようぜー!」みたいな感じにもならず。
タイラ:何かその、まぁ育ちが良いって言ってしまうとそうだけど、当たり前にそういう風になってるから「大学デビュー」とかもないしね。
マツザカ:だから、あの大学のアゲな感じがあまり合わなくて、サークルとかにも入らないまま、古着好きだったんで毎週フリマ行ったりとかして。ずーっとそんなのが2年間くらい続いてて、で、友達に1人音楽をずーっとやってる奴がいたんです。そいつが「俺、曲作るからお前らラップしない?」みたいなこと言われて、やり始めたのがAwesome City Clubの前にやってたTHIS IS PANICっていうバンドの始まりで。
タイラ:それが18~19?
マツザカ:いや、もう大学3年生くらいっすね。
タイラ:じゃあもう21くらい。
マツザカ:そうですね。もう就活早めの人は始めるぞ、くらいの時ですね。
タイラ:逆にみんなが(バンドとかを)ちょっとやめるかどうか、っていうタイミングで始まったんだね。
マツザカ:で、まぁ暇だったし、暇っていうかなんかね…
タイラ:それはその音楽をずっとやっていた、誘ってくれた友達はマツザカくんがヒップホップとか好きだよねっていうのは知ってた?
マツザカ:そうですね。いわゆるそのRIP SLYMEとかDragon Ashとかみんな聴いてた世代っていうのもあり、その時にSET YOU FREEの派生で、YO-KINGが昔やってたエレファントラブっていうヒップホップグループがあって、それがすごいかっこいい。
タイラ:いわゆるヒップホップだけど文系のヒップホップというかね。
マツザカ:まぁだからスチャダラパー周辺とかすごいかっこいいよね、みたいなメンバーもいて、僕もすごい好きで。で、何て言うんだろう…学校が渋谷だったんですよ。で、そのメンバーの中で本当の金持ちの奴らもいて、表参道に住んでます、みたいな。でも表参道に住んでる自分が嫌で、吉祥寺のレコード屋さんでバイトするとか、そういう逆走したい感じもあって。その中で、リア充っぽいこの学校で、その文系ラップみたいな事をやるっていうのが自分達的には良いじゃん、カウンター的な感じでかっこいいんじゃないか、みたいに思って。
タイラ:同級生とかがみんなイケイケな中で、そうじゃない表現をしてみたいって感じ?
マツザカ:そうそうそう。っていうのがあって、音楽作れる誘ったそいつは自分がそれやりたい、誘われた俺らはそんな風になってみたい、みたいなのもあって。「じゃあやろうか」って。大学3年の夏休みをまるっと使ってデモをそいつの家で作って、そっからバンドスタート、みたいな感じですね。
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