タイラダイスケ(FREE THROW)【生活と音楽 Vol.15】×マツザカタクミ(Awesome City Club)(後編)バンドマンにとっての「幸せ」と普通の人にとっての「幸せ」

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情熱とアイディアを持って「生活」と「音楽」を両立させている人にフォーカスを当てる対談連載「生活と音楽」。
第15回目となる今回はAwesome City Clubのマツザカタクミくんに話を聞いた。
前編では彼の音楽的ルーツについて、そして初めて組んだバンドの結成から終焉までを聞いた。後編では彼の「生活」の話、そしてAwesome City Club結成から現在に至るまでの話を聞く。

Interview & Text:タイラダイスケ(FREE THROW)Photo: Rai Matsumoto


<Awesome City Club – 今夜だけ間違いじゃないことにしてあげる>

「バンドなしじゃ自分を語れなくなってる」と気がついた就職活動

タイラ:じゃあここからはちょっと仕事、生活の話とかもしていきたいなと思うんだけど、大学卒業するタイミングで就職活動とかもしなきゃいけないと思うんだけど、それ以前にバイトとかはいろいろやってた?

マツザカ:やってましたね。大学の前に無印良品があって、無印良品でバイトしながら渋谷で音楽スタジオに行く、みたいなことをずっとやってましたね。

タイラ:就職活動はどんな感じだったんですか?

マツザカ:就職活動もある程度してて。周りの人みたいにガッツリではなかったんだけど、最初は自分が興味あるものだけやろうっていう、ちょっと舐めたやり方をしてたんです。で、バンド続けたかったから、全国転勤じゃなくて東京のみで勤務出来るところ、っていうところでやってて。

タイラ:じゃあやっぱバンドっていうのは就職活動するタイミングではかなり自分の中で大きいものだったんだね。

マツザカ:大きくなってましたね。だし、その就職活動の中で、集団面接とか、自分っていうものは何者なんですよっていうものをアピールする時に、THIS IS PANICなしじゃ自分を語れなくなってた部分があって。例えば、大学の前で自分達のアー写とQRコードがついてるポケットティッシュを学校の前で配ったりした事があるんですよ。これもまた影のやつが「こういうのやったら面白いんじゃない?」とかって。恥ずかしいじゃないですか。でも同級生の間で配って。そうするとなんか反応あったりとかして。っていうことを「僕ら学生時代にやってたんですよ」って就活で喋るとやっぱ面白がってくれて。

タイラ:ガッツあるな、みたいな。

マツザカ:「考えて何かやってたんだね」みたいな反応があるから、やっぱりバンドで動いていたこと自体はすごく良い事だったんだなぁ、みたいに当時は思っていて。その中で割とクリエイティブ系の広告業界とかそういうのを受けてて、なんかトントントンって最終とかまで行っちゃったりとかしたんですよ。その時に「俺意外といけんのか?」と思って。これ行けたら(バンド)やめちゃおうかなーとか思うんですけど、やっぱり最後の最後でダメってなっちゃう。で、なんかすごい1回自分に自信があったのに、スパーンって切られた時に、今更世の中の就活生が頑張ってる流れに追いつこうとしてもなかなか難しいし、もう手遅れだから、やっぱこのタイミングでもう少し自分をTHIS IS PANICで高めないとと思って。じゃあもうバンドやろうかな、みたいなのがあって。

タイラ:じゃあTHIS IS PANICをやっていた大学卒業してから3年くらいは、バイトとかをしながら活動してた?

マツザカ:音楽スタジオでバイトしつつ、あとはさっき話した主催イベントをやることで、バンドからいくばくかのお金は入ってきてて。それと一緒にやりくりしてたって感じですかね。

タイラ:それだけで食える額とかではもちろんなかった、って感じだよね?

マツザカ:そうですね。でもこれは僕らが最初に決めたっていうか、これだったら俺らいけるかな、っていうのがあって、全員東京で実家暮らしだったんですよ。で、みんながよくやる「バイトをしてお金を貯めて何かをスタートさせる」っていうことを俺らはしなくていいから、とにかく音楽のスタジオ代さえ払えりゃ何とかなるっていうことで「人よりも多く練習する時間が出来るよね」とか「人よりも多くノルマ払えるよね」みたいなのがあって。そういう部分では割と効率的にやってたというか。お金がないのは当たり前なんだけど、お金がなくて死んでしまう、みたいなことをあまり意識したことがなかったっていうのも1個、まぁダサいけど強みではあったかなと思って。

タイラ:お金の使い方っていうところは、すごく音楽に比重があったんだね。

「こうやったら売れんじゃないの?」っていうのを試してみたくて始めたAwesome City Club

タイラ:じゃあそういう生活が25くらいまで続いて、THIS IS PANICから離れるわけじゃないですか。就職活動の時も自分のアイデンティティーの中に大きくあったくらいの存在のバンドだし、特に大学を卒業して就職をしないでTHIS IS PANICで頑張ることが自分にとって一番良いんじゃないか、って決意したっていうことも含めて、めちゃくちゃ頑張ったバンドを離れるっていうことを決めて。すごく雑に言っちゃうと、1回何もなくなるっていう感じだったと思うんだけど、その後はどういう事を考えたの?

マツザカ:もともと僕、音楽業界の裏方志望だったんですよ。でもそれって、音楽業界の人が実際本当に何をしてるかっていうのをよくわかんない状態で。お給料も貰えるし、人として生きていけるし、音楽やれるし、音楽に携われるし、いいなーと漠然と思ったんですけど。だからTHIS IS PANICを辞めた時はもともと興味があった音楽の裏方の方に行きたいなーなんて思ってたんです。で、働いてた音楽スタジオは自分でBGM選べるから、THIS IS PANIC時代はライブハウスで出会った人達の音楽ばっかりを聴いてたんですよね。仲間の曲みたいな。そしたら音楽に触れることが若干仕事じゃないのに仕事っぽくなっちゃって、最新の音楽に全然疎くなっちゃってたんです。その後にバンドから気持ちが離れていった頃にスタジオのBGMを選んでたら、何かのタイミングでその当時の最新の曲に触れることがあって。それがAwesome City ClubをやることになったタイミングですごくリファレンスにしてたFoster the Peopleとか、Benny Singsとか、いわゆるグッドミュージックみたいなことをやってる音楽にたまたま大量に触れる瞬間があって。それ聴いてたらすごく気持ちが良いし、「何で俺はこれをやれなかったんだろう?」っていう気持ちにもなって。

<Foster The People – Pumped up Kicks>

<Benny Sings – Not Enough>

タイラ:「これ、俺好きじゃん!」みたいな?

マツザカ:素敵だなこれ、みたいな。今思えばTHIS IS PANICを始めたのもぶっちゃけこんなの自分で言うのもおかしいですけど、割とその学校の中でみんなおしゃれだって言われてるようなとこがあって。でも髪伸ばしてきったない格好してジャージ着て、みたいな。

タイラ:それがカウンターだったわけだよね。

マツザカ:でもこれいわゆる「世の中の人的なおしゃれ」を素直にやってみてもいいかなっていうのがあって。そのグッドミュージック達は割とテンポが遅かったんですよね。でも踊れる。で、良い曲。プラス、さっき言ったTHIS IS PANICの毎月のミーティングで「もっとこうしたらいいのに」っていうのが受け入れられなかったっていう経験もあったし、「これを最後実践しようかな」と思って。

タイラ:THIS IS PANICでは出来なかったけど、自分の中には「こうしたらいいんじゃないか?」ってアイディアは蓄積をしていて。それのアウトプットする場所がなかったから、それをアウトプットする場所を作りたかったな、っていう。

マツザカ:そうですね。そのアイディアが揃った時に、「THIS IS PANICは辞めよう」って思いながら、ちょっとずつ周りの「曲は良いんだけどな」っていうシンガーとか、自己プロデュースが出来てない人達に声を掛け出していって、もうTHIS IS PANICを辞めるっていう時には半分以上今のAwesome City Clubのメンバーが集まっていて。どちらも並行してやりながら、自分のTHIS IS PANICの最後のライブの時に「1曲Awesome City Clubの曲をそこで流して!」ってお願いして。これはTHIS IS PANICのメンバーからすると「お前宣伝してんじゃねーよ」みたいな感じだったかもしれないんですけど、でもこのタイミング逃すと多分宣伝も出来なくなるなーと思って。それを目標にAwesome City Clubは動き出して、っていうのがスタートだったのかな。自分の中でもう「辞めよう」ってなってからは、割とAwesome City Clubっていうものを構築しようっていうので動き出してて。その中にはもう、女の子2人入れて、BPMも遅くてこんな感じの音楽でっていうリファレンスがあって、っていうのとか。

<Awesome City Club “children” (DEMO ver.)>

タイラ:その当時のAwesome City ClubはTHIS IS PANICの時に成し得なかったマツザカくんのアイディアっていうものを具現化していったものに近い形だったの?

マツザカ:そうですね。多分「売り方」を一番気にしてたのかな。裏方志望だったからこそ1回実験的に、自分が思う「こうやったら売れんじゃないの?」っていうのを試してみたくて。だから活動し出してからデビューするまでは全部一括で自分が責任持ってやるし、THIS IS PANICの時に成し得なかったし、Awesome City Clubのメンバーみんなもそれぞれ前のバンドで成し得られなかった「メジャーデビュー」が絶対出来るよ、っていうプレゼンを根拠のない自信を持ってして。で、それの通りにするように頑張っていった。

タイラ:ちょっと遡った質問になっちゃうんだけど、Awesome City Clubを組むぞって言った時、特にTHIS IS PANICを辞めてAwesome City Clubで1本でやってくぞって言った時の、バンドを組む目線の高さってどうだったのかな?単純に「やれなかった事をやってみたい」っていう気持ちだったのか、もっと具体的に「これで食う」みたいな気持ちだったのか。

マツザカ:最初は「これで食う」っていうことはあまり考えてなかったかもしれないです。っていうのは、みんな各々バンドの経験があったし、バンドっていうものに疲れてたところがあったから、とにかく楽しいっていう状況をみんなに提供して、その「楽しい」が結果的にクオリティの高みに近づいて、それが結果的に食えるようになるっていう。近いけど、「最初から食いますよ」って意気込むってことじゃないっていう感じですかね。

タイラ:25でTHIS IS PANICを辞めて、その時にはAwesomeはあったから、もう6,7年とかって感じか。

マツザカ:そうですね。潜伏期間で言うと6年くらいかな。

「Awesome City Clubマツザカタクミ」としての「生活」

タイラ:で、そのAwesomeは、まぁある程度青写真通りというか、マツザカくんが思い描いていた「こうやったら上手く行く」っていうものとか、「美意識」みたいなのを落とし込めてやっていけてる。じゃあ今はもう生活はAwesome1本っていう感じ?

マツザカ:Awesome1本ですね。争奪戦からメジャーデビューして、事務所のマネージャーと、担当ディレクターを決めて、プロにバトンタッチするところまでで自分の役目は一旦終了で、そこからは自分は純粋なプレイヤーとかアーティストっていうような人生が続いてく、っていうところになっていったっていう感じですかね。

タイラ:THIS IS PANICの最後の時に思い描いてた裏方感覚みたいなものは、ここから先はプロフェッショナルなスタッフの人にバトンタッチして仕事でやって下さいね、っていうイメージ?

マツザカ:そうですね。でもやってみたらやっぱそうじゃなくて。最初はある種そうだった部分もあったし、Awesome City ClubってデビューするまでにCD1枚も出さなかったり、そういう話題性みたいなのをちょっと策略的に作ったりとかしてたから、最初はトントン拍子にいった部分も見えたようではあったんですけど、CONNECTONEってとこからデビューして、丁寧に扱ってもらった部分もあったんですけど…何だろう…下北沢で頑張ってた時と、メジャーデビューをした今との、この間みたいなのってきっとあるはずで。っていうのは、ライブハウスのキャパシティとかもちょっとすっ飛ばしてる(いきなり大きい会場でライブしている)部分とか、いろんなものがあったと思うんですよ。例えば、最初から僕らのPVはすごい沢山お金使って作ってくれたとかっていう状況がAwesome City Clubにはあったけど、(それ以前に)埋めなきゃいけないバンドとしての基盤みたいなのがあまりなかったんですね。バンドメンバーの絆とかバンドメンバーが音を出してる信頼感とか、いわゆるすごくバンドらしいこと。それは元々バンドに疲れてた人達で、個人の才能を出せるような場所としてAwesome City Club作ろうぜ、っていうプロジェクト的なところから始まってるんで当たり前なんですけど。フェスとかに出ていく時に、「なんでこの人達は盛り上がるのになんで俺ら盛り上がらないんだ?何の違いなんだ?」みたいなところで、やっていけばやっていくほど結局「バンドとして強いものじゃなきゃいけない」っていうところにぶち当たっていってしまって。

タイラ:そこはやっぱり根っこの部分というか、みんながバンドをやってたからこそ感じることかもしれないね。状況的には前にやってたそれぞれのバンドよりも確実に良いかもしれないけど、前のバンドよりもそのポイントで劣ってる部分があるかもしれない、っていう感覚だね。

マツザカ:例えばBUMP OF CHICKENだったら、幼稚園とかそういう幼馴染がやってるっていうストーリーとか、そこでの見えていた景色とか、美意識の共有とかがすごく出来てるけど、(僕たちは)本当にいろんな人を雑多に集めて組んでるバンドだからこそ、スタートはしてるけど、意外とみんなが各々のことをわかってなかったし、ある種「あまりメンバー同士で深い関係にならなくてもいいんじゃない?」っていうの思ってたとこもあったんですよ。「パーソナルスペースを持ってなきゃいけないよね」みたいな。でも前のバンドって、多分ぜーんぶ青春時代のようにゴチャゴチャってやろ、みたいな。

タイラ:それこそ一緒に住んでたくらいだからね(笑)。なるほどね。

マツザカ:でもやっぱ、結局そっちに向かっていったんですよね。

タイラ:よりバンドになろうとした。

マツザカ:バンドになろうと。で、そういうことをやってた時に、最初に自分達が打ち出してたオシャレなイメージとか、ちょっとセンスが良いですよとか、都会的なイメージみたいのから離れていった部分がすごくあったと思うんです。

タイラ:ある種、血が通っていくことによって人間味が出てくるというか。

マツザカ:今までは「空想の世界で生きている人」とか、「架空のAwesome Cityって街のサウンドトラック」とか、そういうテーマを持ってたりとか、ちょっとこう背伸びした存在だったのが「普通のにーちゃんねーちゃんなんだよ実は俺ら」っていうことを世の中にオープンにし出した。で、汗をかいてライブをして、悩んでる事も全部伝えて、メッセージを入れて、「頑張ろう」とかそういういろんなものが出てきて。って時に、やっぱ正直思うような結果じゃなかったなっていうのもあって。これはいろんな僕らのインタビューを読んでもらえれば多分なんとなくその雰囲気って伝わると思うんですけど、どんどんどんどん過去の自分達に、過去っていうかAwesome City Clubやる前の自分達に戻っていって、それが多分メジャーデビューして2~3年くらいの時がピークにバンドらしいっていうものになっていって、今回のアルバム『Catch The One』とかがある種その「バンドらしさ」みたいなことの1個の完結編なのかなぁって思って。それが出た今はもう割と、またもう1周して違う方向に行ってもいいのかなとか「こういう状況でこうやって、こういう結果だったんだね」っていうことをみんなが噛みしめてて。じゃあもう1回なんか違うコンセプトを作ってもいいんじゃないかとか。

<Awesome City Club – 「ダンシングファイター」Music Video(Short ver.)>
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