KUSU KUSUが復活!川上次郎が振り返った、バンドブームの荒波について。KUSU KUSU(川上次郎)インタビュー! 

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1980年代末期に起きた、何度目かの「インディーズブーム」。同時期に起きた、「ホコ天ブーム」、 テレビ番組が起因になった「イカ天ブーム」。それらの動きが重なり、一躍”流行”となり、日本に「バンドブーム」という現象が巻き起こった。その勢いは、それまで日蔭の存在だったミュージシャン(主にバンドマン)を表舞台に引っ張りだすだけでなく、「あんな格好をしているけど、就職もしていないけど、でも夢を追いかけて頑張っているんだね。応援してあげなきゃ」という、世の中に於ける認知度も高めていった。
ただし、バンドブームは、いわゆる流行でもあった。今も連綿と続いているように、音楽自体がなくなることはなかったが、バンドブームに巻き込まれ、その渦中にいたアーティストたちは、質の善し悪しに関係なく、存在自体を偶像崇拝(アイドル)視されていた。KUSU KUSUも、その一つだった。むしろ、「バンドブーム」を象徴する存在として、自分たちの意志とは関係なく崇め奉られてきた。
面白いのが、「インディーズブーム」「ホコ天ブーム」「イカ天ブーム」すべてに関係しながら、KUSU KUSUは、ワールドミュージック×ロック×歌謡曲(ポップス)という唯一無二の、しかも親しみを覚える「楽しい音楽」を表現していたことから、先に挙げた3つのムーブメントすべてのシーンで「異端児」として話題を集めていたことだ。「心を踊らせる良質な音楽」を評価し、支持するのは、けっして耳の肥えた知識人でも評論家でもない。いつの時代でもそれは、「楽しいを感覚で捉えてきたミーハーな若者たち」だった。どのシーンでも異端児だったKUSU KUSUが、どのシーンでも、動員を含め、寵児でいたのは、理屈に左右されない、感覚で音楽を楽しんでいた少年や少女たちに支持を得ていたことが大きかった。振り返れば、彼らも当時はまだ10代だった。大人に与えられた流行というオモチャを蹴飛ばし、自分たちの感覚にフィットする物事へ夢中になるのも当然だ。しかもそのバンドが、技術を含め、玄人も唸らせる高いサウンド・コンポーズ力を持っているとなれば、その評価が大人たちをも巻き込むのに時間はかからなかった…と言いたいが、今もそうだが、一度「アイドル」というレッテルを貼られてしまったら、頭の螺子の緩め方を知らない人たちは、なかなか認めることがなかったのも事実だった。
奇しくもKUSU KUSUは、「バンドブーム」を象徴する存在として世間から注目を浴び、メジャーデビューはもちろん、瞬く間に日本武道館にまで駆け上がる人気を博していった。そんな世間の支持やアイドル視とは裏腹に、つねに音楽制作へ真摯に向き合っていたメンバーは、音楽以外の面で支持を得ることに違和感を覚え、若さ故の反抗心も相まって、デビューから4年後には無期限で活動を休止させた。
あれから30年以上の時が過ぎ、KUSU KUSUはデビュー35周年という節目に「KUSU KUSU復活」を宣言。復活作品を制作するためにクラウドファンディングを行った。それを元に完成したのが、7月29日にリリースされたシングル『JUNGLE ROCK』だ。本作には、メジャーデビュー曲の『世界が一番幸せな日』のセルフカバーも収録。表題曲の『JUNGLE ROCK』には、KUSU KUSUファンならクスッとなる言葉があちこちに散りばめられている。収録したどの楽曲も、ワールドミュージック×ロック×歌謡曲(ポップス)という唯一無二のKUSU KUSUTYLE(KUSU KUSU STYLE)だ。
でも、なぜ表舞台にはヴォーカルの川上次郎しかいないのか。そもそも、なぜ復活を宣言したのか。その背景を、川上次郎に聞いた。

僕らが「KUSU KUSUのここが格好いいんだ」と示しながら活動をしてきたことを、改めて今、評価してくれる人たちがすごく増えてきました。

──まずは、復活までの経緯から教えてください。

川上次郎(以下、川上)KUSU KUSUのメジャーデビューから数えて35周年目になったのが、昨年のことでした。そのデビュー35周年に合わせて、2023年頃から、WEB上でしたけど、メンバー4人で定期的に集まっては、「デビュー35周年に向けて何かをやろうよ」という話を繰り返してきました。
KUSU KUSUは解散ではなく活動停止という形で活動を止めていたから、その当時は、「35周年という区切りの年に、活動の再開でも、改めて解散ライブをやって終えるでも、とにかく何かのアクションを起こそう」という内容も含めて話しあいをしてきました。WEB上で話し合いをしていたのも、今、メンバーのまことが沖縄で暮らしているなど、環境的に会うことが難しかったからでした。それに加え、他のメンバーの事情も考えると、全員で集まってライブをやるのは正直難しい。でも、KUSU KUSUの楽曲はこれからも伝え続けていきたい。そこは、みんなが共通して持っていた思いだったことから、表向きは僕一人がKUSU KUSUとして復活をし、他の3人は、作詞や作曲、レコーディングの演奏や制作面で携わる形での復活ということで話がまとまりました。そのうえで、2025年に「KUSU KUSU復活」を僕が宣言し、KUSU KUSUの作品を作るためにクラウドファンディングを立ち上げました。

──クラウドファンディングは、かなりの反響を得たと聞きました。

川上 達成率が1324%でした。その数字は、正直、自分たちでも驚きました。嬉しいのが、募集を終えた今でも、その情報を聞きつけては「また活動を始めるんですね」という声をいただけること。僕ら、音楽制作や活動の面ではプロですが、プロモーションの面では素人ということもあって、発信するといってもSNSを通じて行う程度でしかなかったけど。それでも情報が広がってくれたのが嬉しかったのと同時に、まだまだ情報が行き渡っていなかったんだなというのは、今、レーベルの方がサポートしてくれる活動を通して感じていることです。

──達成率が1324%という数字が示すように、KUSU KUSUの復活に期待している人たちが多かったのはもちろん、それだけ多くの方々に、バンドの存在が認知されていたという証明でもありますよね。

川上 そこは嬉しいですよね。ただ、驚きだったのが、KUSU KUSUがレジェンド扱いされるようになっていたこと。レジェンドと言えば、RCサクセションなど、僕らがロックに憧れを抱いていた世代の人たち。そういう人たちこそがレジェンドという認識でいたところ、「あなたたちも、そろそろレジェンドの枠ですよ」と言われたようで、そこには正直戸惑いもありました。単に、年齢的にそう言われる世代なのかも知れないですけど(笑)

──当時のKUSU KUSUは、レジェンドと呼ばれるだけの実績や現象を巻き起こしましたからね。それこそ、バンドブームを牽引した立役者の一つでもありましたし。

川上 でも当時は、いくら音楽へ真剣に向き合っても、どうしてもアイドルバンド扱いをされてしまう風潮があったし、そこに反発もしてきました。ただ、今回の復活宣言をしたことで嬉しかったのが、以前にKUSU KUSUをアイドルのような存在として扱い、耳にしていた人たちからも、「こんな素晴らしい音楽をやっていたんだ」「今でも、こんな音楽をやる人たちはいないよね」と、音楽面で全うな評価をしてくれる声がとても多かったことでした。僕らが「KUSU KUSUのここが格好いいんだ」と示しながら活動をしてきたことを、改めて今、しっかりと捉え、評価してくれる人たちがすごく増えてきた。それが、今回の復活やクラウドファンディングを行ったことで一番嬉しかったことでした。

──今もそうですが、当時は、ワールドミュージックと、今でいうJ-POP/J-ROCKをミクスチャーしたバンドは他にいませんでしたからね。

川上 そうだと思いますよ。ただ、あの時代的に、バンドがアイドル視され、その話題が先行してしまうのも、仕方がなかったんでしょうけどね。

──あの頃は、バンド音楽が流行として扱われていましたから。そのおかげで、音楽シーンの認知度が世間一般的に高まり、浸透していったきっかけにもなりましたけどね。

川上 バンドブーム時代にワイワイやっていた子たちが、今や結婚や就職をし、ある程度、子育てや、仕事環境の面でも落ち着きだし、気持ち的に余裕を持てるようになってきたからでしょうね、自分の好きなことに熱中する時間も増えたところに、「KUSU KUSUが帰ってきた」ことで、ふたたび熱が再燃し、応援する人たちが今も増え続けています。そこにバチーンとはまったのも大きかったし、僕らとしては嬉しかったことでしたね。

理不尽な扱いは、当時はいろんなところでされていましたし、そこと戦ってもいました。

──活動休止後もずっと、メンバー同士で連絡を取り合っていたんですよね。その関係性がずっと続いていたことも、復活に繋がる大きな要因だったなとも感じています。

川上 10代のときに作ったバンドって、家族みたいなところがあるんですよ。KUSU KUSU以降も、いくつかバンドを作ったし、今でも関係の続いているメンバーもいるけど。KUSU KUSUのメンバーとは、あの頃も今も、ずっと家族のような絆を感じあっているんですよね。それって僕が、今も3人を人としてずーっと尊敬している気持ちが強いからなんだろうなと思う。それは、ほかの3人も一緒だと思う。
KUSU KUSUって、いがみあって活動を停止したわけではなかったから、停止後もずっと関係は持ち続けてきました。活動中も、活動を止めたときも、活動停止から30年近く経った今も、「あいつはすごい」「あいつには勝てないわ」じゃないけど、僕は、いまだに3人を尊敬している。その気持ちがみんなの中に今もあるからなんでしょうね。

──もともと技術面もそうだったけど、音楽性はとても高いバンドでした。ただ、幅広い世代が親しみを覚える大衆性を持っていたことや、メンバーみんな10代だったこともあって、どうしてもアイドル視されてしまっていたし、世の中がそういう風に祭り上げていた。メンバーは、そことのギャップとずっと戦い続けていましたよね。

川上 当時は戦いましたよ。それこそ、取材ということでレコード会社に行ったら、自分らが一度も見たことも、話を聞いたこともない、すっごいアイドルアイドルした宣伝ポスターがレコード会社の壁に貼られていて、メンバー全員がその場でぶち切れたとか。そういう理不尽な扱いを当時はいろんなところでされていましたし、そこと戦ってもいました。
あの頃から僕らは、他の誰にもない独自の音楽性を生み出してきたし、そこに磨きをかけてきたのに、そうじゃないところばかりを世の中は取り上げていく。そこにすごく反発をしていました。でも今は、そんな反発や戦いは一切ない環境で活動ができている。だから、すっごい(精神的に)楽なんでしょうね。

──その葛藤やジレンマも、KUSU KUSUを停止させた理由の一つとしてあったことでした?

川上 う~ん、それもあったかも知れないですけど。いろんな事柄すべてをひっくるめて「まぁまぁまぁ」と妥協をした活動は、4人ともできなかったということでしょうね。僕らは、「何万枚売ろう」とか「とにかく売れよう。それから,その後、好きなことをやるために建て直そう」など、そんなことは一切考えられなかったし、考えてもいませんでした。
 あの当時、よくバンド仲間から聞いていたのが、「下積みを長く経験してきたけど、ようやく支持を得るようになって、予算も増えだしたおかげで、理想のスタジオでレコーディングできるようになった」「ステージセットにお金をかけられるようになった」「生活に余裕を持てれば、音楽に専念していけるようになった」という話。僕らはそこが恵まれていたのか、最初から理想通りの環境の中で音楽活動ができていたし、音楽に専念する形で生活できていたから、今振り返れば、そこでのハングリー精神が、僕らには欠けていたのかもしれない。僕らが売れようという意識を持って活動をしていたら、もしかしたら状況は違っていたのかもしれない。逆に、予算が減って、今まで使えていた環境が使えなくなったという経験はありましたけどね(笑)。

──「バンドブーム」は、当時の世の中に吹き荒れていたバブル経済と一緒で、一気に話題を集めて瞬く間に膨れ上がり、パンパンに膨らんだうえで弾けてしまい、渦中で祭り上げられていた人たちの環境を壊してしまいましたからね。

川上 僕らは、そのブームに飲み込まれたくなくて必死にもがいていたんだけど。結果的に、飲み込まれちゃったんでしょうね。

──ましてKUSU KUSUは、「インディーズシーン」「ホコ天バンド」「イカ天バンド」など、いろんなシーンを象徴するバンドとして祭り上げられていましたから。

川上 今振り返ると、いろんな肩書を得られるのってなかなか無いことだから、とてもありがたいことだったんですよね。だけど、当時の僕らは、それを鬱陶しいと思っていたんですよ。

──音楽で評価を受けたいし、音楽で勝負をしていきたいのに、音楽以外のところで話題を集めることが主だったのが、あの当時の音楽シーンでしたからね。まじめに音楽に取り組む人たちほど反発するのは当然ですよ。

川上 若かったんでしょうね。あの頃から今でも友達の、AURAのKoREDS★から話を聞いたことだけど。AURAが話題を集めだしたとき、メンバー全員が「この波に全力で乗っていけ」と思いきり舵を振り切ったし、あの当時はそうやっていたと。その話を聞いて、「KUSU KUSUもそうやるべきだったのかな?」と思ったこともありました。
 あの頃のKUSU KUSUって、メンバーみんな未成年というのもあって、いわゆるロックスター的なツアー先での活動など一切なく、ライブ後の食事会を兼ねたスタッフみんなでの打ち上げにも乾杯だけ参加して、僕はすぐに健康ランドなどそういう施設に行って、お風呂にゆったりと入って、湯上がりにジュースを飲んでまったりし、そのうえでホテルに帰って寝るということをよくやっていました。今振り返ると、めちゃめちゃピュアな活動ですよね。

──むしろ、KUSU KUSUの活動を止めてから下積みが始まったとか?

川上 それこそ、楽曲提供からアーティストのプロデュースなど、いろんなことをやりました。ただ、恵まれていたことに、今もそうですが、音楽業界の方々も、僕と同じように年齢を重ねていくわけで、僕のことを知ってくださる方々が、いつも声をかけてくれることから、今もずーっと音楽に携わる仕事で暮らしています。

──そういう歩みがあったうえで、デビュー35周年というタイミングでのKUSU KUSU復活となったわけですが、求めてくれる人たちがとても多い中での新たな船出になりました。

川上 中には、「メンバー4人が揃わないKUSU KUSUでないのなら、復活とは言えない」というご意見もいただきますけど。適わない現実を敵うまで待っていたら、KUSU KUSUの楽曲が埋もれ続けていくだけになる。それってとてももったいないこと。自分一人が表に立つ形を取ってでも、4人みんなでKUSU KUSUを動かそうと決めたことだったから、それを理解してもらえたうえで、今のKUSU KUSUを求めてくれるのであれば、そんな嬉しいことはないです。
たらればの話にはなりますが、もし、僕らと同じシンパシーを感じさせる若手のバンドがいたら、その子たちにKUSU KUSUの音楽を継承させてもいいくらいの気持ちを僕らは持っています。でも、残念ながら、昔も今も「KUSU KUSUみたいだね」と言われるようなバンドは存在していません。だからこそ、僕ら自身でKUSU KUSUの音楽を伝え続けていかなきゃ。そういう使命感も持ったうえでの復活でもありますからね。

KUSU KUSUを好きだった人たちに触れてもらい、あの頃を思いだし、元気や笑顔になれたら、僕らはそれでいいんですよ。

──クラウドファンディングを終えてから、今回のシングル『JUNGLE ROCK』のリリースまでには、相応に時間を費やしてきました。

川上 一部制作を外注している面もありますが、収録した楽曲は僕が中心になりながら、作詞やアレンジを他のメンバーが手がければ、(すべてではないが)3人は演奏で参加しています。収録した楽曲も、2023年にKUSU KUSU復活の話をし始めた頃から、おのおのが曲を作りだしていたこともあって、その時期からため込んでいた曲たちの中から選びました。『ポケットの中』の楽曲レコーディングやアレンジは、まことが沖縄にある自宅スタジオですべて手がけています。たとえ、4人全員がすべての曲に直接携わっていなくても、どの楽曲もみんなが納得したうえで形にしていますし、一切の妥協なく作りあげました。だから、どうしても時間は要してしまいましたね。

──KUSU KUSUファンが聴いたら、「KUSU KUSUじゃん!!」と、みんな納得する曲ばかりですからね。中でも表題曲の『JUNGLE ROCK』には、「オレンジバナナ」や「花咲華人」、他にもいろんなKUSU KUSUにまつわる言葉が詰め込まれているから、ファン度の深い人ほどニヤッとしてしまいます。

川上 今回、一番心がけたのが、「自分がKUSU KUSUのファンだったら、こういう音を出してきたらすげぇ嬉しいだろうな」ということでした。良質な楽曲を作るのはもちろんだけど、クラウドファンディングに参加してくれた人たちはKUSU KUSUの音楽を求めているのに、そこで変にミュージシャン魂をひけらかしてマニアックな音楽をやったら期待外れになるし、それは誰も望んではいないこと。『JUNGLE ROCK』でやったような遊び心は、若い頃ならやれなかったけど、今なら、思いきり振り切ってやれる自信がある。だからこそやったことだったし、「これぞKUSU KUSUの音楽」をこの作品では追求し、形にしたわけなんです。
もっと言うなら、今回の作品は、KUSU KUSUが大好きだった人たちに向けて作っています。今更「売れたい」とか「日本武道館でライブをやりたい」なんて欲求は、今の僕らにはまったくないし、「新しい人を獲得しよう」「若い人に向けて」なんて意識も、最初から持っていませんでした。それよりも、KUSU KUSUを好きだった人たちに触れてもらい、あの頃を思いだし、元気や笑顔になれたら、僕らはそれでいいんですよ。

──デビュー曲の『世界が一番幸せな日』を、リメイクして収録したのも嬉しかったです。

川上 KUSU KUSU復活の話をする前から、僕自身は、川上次郎として活動をしながらも、この曲はずっと歌い続けてきました。今回の作品を作るときにも、この曲を作ったSAYとも、「デビュー35周年という記念の作品だからこそ、デビュー曲も入れよう」という話をし、みんなも賛同をしたうえで収録を決めました。
それに、デビュー曲を持っているって、ある意味すごいことじゃないですか。もちろん、今もデビュー曲はあるんでしょうけど、配信が中心になっている中、どれがデビュー曲であり、デビュー作なのかが、いまいちつかみにくい。でも、あの頃は「これです」というのが明確に見える形で出していたわけですからね。しかも、僕らがずっと大事に演奏をし続けた曲でもある。だからこそ、今回の作品にもぜひ入れたかったんですよね。

──CDをリリースするということは、復活のライブも企画しているのでしょうか?

川上 KUSU KUSUの楽曲は、演奏形態上非常に特殊なので、僕らだけでは完全に再現しきれないんですよ。そうではない状態でライブをやって、応援してくれる人たちをがっかりさせたくない。もちろん、オケも流したうえで演奏をしながらという形も取れますけど、それをライブハウスでやると、どうしても消化不良になってしまう。もちろん、KUSU KUSUのライブを求める人たちがいるのもわかりますけど、納得のできない形でお見せするくらいなら、たとえオケを使ってでも理想通りの演奏で届けられるからこそ、今はライブ配信でお届けするのが一番良い形だと僕は思っています。

──最後に、今後についても聞かせてください。

川上 まずは、今や僕のライフワークにもなっている、毎月次郎の日(26日)に「秘密基地」で行っているライブ配信を活動の中心に据え、そこでみんなとライブを含めて楽しんでいけたらなと思っています。
KUSU KUSUのやっている音楽は、『JUNGLE ROCK』の一節に書いた「誰にもマネできないビートに乗って」の歌詞のように、誰にも似てない、誰にも真似のできない音楽です。ワールドミュージックと呼ばれている音楽を、日本のロックやポップスに落とし込んで作ったミクスチャーな音楽ですけど。誰にも負けない、誰よりも格好いいロックだと僕らは思っています。そういう曲たちを詰め込んだ作品だからこそ、ぜひ聴いてほしいです。今回は、僕らと同世代で、僕らのことを応援してくださっていたみなさんに向けての楽曲なので、わくわくしながら聴いてもらえたらなと思います。毎月26日にライブ配信をしていますので、ぜひ、そこでお会いしましょう。

TEXT:長澤智典

●楽曲情報●
2026年7月29日発売
4曲入りEP
JUNGLE ROCK/KUSU KUSU
品番:TH-237
価格:¥2200(税込)
01.JUNGLE ROCK
02.ポケットの中
03.BANG BANG BANG
04.世界が一番幸せな日 2026ver.

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