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映像演出家・スミスの人生相談【きょうもスミスがかんがえた Vol.25】スミス、「編集」についてかんがえた
こんにちは。映像演出家スミスです。
ついに日傘を買いました。基本的に日焼けをしたくないのですが、日焼け止めを塗るとなんだかとても疲れてしまうので(皮膚呼吸的なことなんだろうか)、いつか日傘を買おうと心に決めていました。今夏、いろいろな条件がそろった気がしたので、折りたたみの日傘を購入。毎日、開いたり閉じたりしているうちに、ついに折り畳み傘を綺麗にたためるコツをつかんだので、最近は折り畳み傘をたたむことが楽しくて仕方ありません。
まず、演出家にとって編集はとても辛い作業である。もちろん撮影された素材は素晴らしいものなのだが、そこには沢山の反省や失敗が内包されている。それに真正面から対峙しないと作品は完成しない。天気や周囲の状況によって、思っていたカットが撮れないこともある。現場では何とかなると信じてO.Kを出したが、冷静になって見てみるとやはり辛い。次のカットとの繋がりも悪く、当初の演出で編集することは難しそうだ。ついつい現実逃避してしまい、上手くいったカットを何度も眺めたりしてしまう有様だ。
とにかくスタッフと演者が全精力を注いだ撮影は終わった。あとは演出家が編集で責任をとるのだ。
そんなこんなでまず、すべての素材をなるべく平等にじっくり見ることから始める。ここで意図通り撮影出来ているものを抜き出しつつ、ふとした演者の良い表情や、美しい光が差し込む偶然が生んだ奇跡のカット(といってもカメラマンが意図的に光を取り入れていることが多いが)を取り出す。この段階で、本当の一番良い画、つまり、マスターショットをちゃんと認識しておく。
ここで大切なことは、最初の設計を大切にし過ぎない事。予定通りに繋がって満足していては、なんとなく作品は輝かない。ここから大胆にマスターショットが活きる編集へと組み替えていく。
マスターショットを活かすためなら、設計も大胆に変える。撮影時の苦労はすっぱり忘れて、冷酷なほどに厳しくカットを精査する。一旦ぶち込んだ全てのカットから、いらないものをそぎ落として、作品を尖がらせていく。そうやっているうちに、失敗のことは忘れ、編集自体にテンポが生まれ、最初の苦労が嘘のように、だんだん楽しくなっていく。