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現在はデジタルアーティストとして活動する元音楽プロデューサーの月光恵亮氏が無観客配信トークライブ
『Moonlight TALK〜episode.01 BOØWY〜』に出演し、伝説のロックバンドBOØWYの誕生秘話について初公開エピソードなどを語った。
アーカイブは3月26日(金)23:59まで視聴可能だ。
バンド結成時、ビーイング創業社長の長戸大幸氏が当時人気あったイギリスのバンド『ガール』をヒントに名付けた『ボーイ』
それを「BOØWY」と月光氏が考案した。
ビーイングの織田哲郎がボーカルを担当していた「スピニッヂ・パワー」に、後任ボーカリストとして、本名で参加し、テレビにも出演したものの、意向が合わずに脱退し、帰郷も考えていた男を、後に月光氏が「氷室狂介」と命名したことから伝説は始まった。
「僕が、真樹日佐夫先生原作の漫画『ワル 』が好きだったから、主人公『氷室洋二』が『氷室』を頂きました。物腰は柔らかくても威圧感ある不良のオーラ。矢沢永吉みたいな歌唱力。ああいう曲を他の人が歌うとがなる感じになりがちだけど、氷室京介は違う。」(月光氏)
BOØWYは、1982年にツインギター、サックスの6人組でファーストアルバム「MORAL」(ビクター音楽産業)でメジャーデビュー。
サックスの深沢和明、ギター諸星アツシは同年10月に脱退した。実はBOØWYの原型になるバンドがあったことも明かした。
「原宿のクロコダイルでBOØWYの原型となるバンドのライブを行なったんです。ギターは、諸星アツシ、ドラムは後のBARBEE BOYSの小沼俊昭でした。ベースは松井恒松(後の松井常松)。「フリクション」のギタリスト恒松正敏からヒントを得て僕が「恒松」命名しました。」(月光氏)
4人組になったBOØWYは、事務所を移籍し、大ヒットの後に解散。
「大ヒットは、嬉しかったですよ。ただ、長くは続かないバンドだとは感じていました。」オートモッドのギタリストだった布袋寅泰の招聘、高橋まことをオーディションで選抜等、見合い結婚のような形で結成されたバンドだった。BOØWY結成の仲人の一人だった月光氏だが、実は移籍にも月光氏の古い人脈の関与があったという。BOØWY解散後も氷室京介のソロのプロデュースに携わることになったパブリックイメージを設立した月光氏が氷室京介と再会したのは、ZIGGY「冬の陣」(寺田倉庫)だった。
「『良い曲だね。BOØWYみたいだね。この曲』ってヒムロックが言ったのがZIGGYの『I’M GETTIN’ BLUE』です。」(月光氏)
カラオケでも歌われる人気曲だ。
かつては、ビートルズ等洋楽をコピーするのがコピーバンドだったが、邦楽のコピーバンドを増やすきっかけになったBOØWY。日本の音楽シーンを変えたと月光氏は絶賛する。BOØWYのドラマー、高橋まこと自伝本にも携わった司会の椎名宗之との対話は大好評で早くも第二弾のリクエストが殺到しているという。
TEXT:野島茂朗
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