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映像演出家・スミスの人生相談【きょうもスミスがかんがえた Vol.17】スミス、「曲」についてかんがえた
こんにちは。映像演出家スミスです。
春がやってきた。暖かくて気持ちがよく、考え事をするのが、いちばん難しくなる季節だ。冬の寒い夜に、ぎゅっと体を固めていると、集中力が体の中心にアイデアを生み出してくれているような感覚だ。春はとにかく歩いて考えるのが、いちばんだと思う。光が動いて、映像が浮かぶ、ような気がする。
MUSIC VIDEOを構成する要素は大きく分けて、3つある。結構当たり前なことなんだけれども、まずは「曲」と「歌詞」。そして「映像」だ。一部のインストゥルメンタル楽曲は例外として、この3つで構成されている。
アーティストがそのうちの1つで、音源を作り出しているんだけれども、きっと「曲」に最もあった「歌詞」を(もしくはその逆)考えに考えて生み出してきているわけである。その作業に映像の演出家は関わることはできない。ふたつが絶妙のバランスで合体したものからもうひとつの「映像」というものを考えていく。
さて映像演出家には「曲」と「歌詞」という決め事が提示されている。この2つを大きく変えることは許されない。まずは「曲」について考えていく。
「曲」が最も映像に影響を与える部分は、長さである。いったい何分何秒なのか。テレビ番組で考えてもらえればわかるが、30分と60分のドラマでは、語れる内容が大きく違う。まずは曲の尺をチェックする。短ければ、大きい仕掛けを一発ぶち込む企画が可能だ。ワンカット撮影だったり、「走る」「飛ぶ」「戦う」など一言で言い表せられる強い企画を当てはめることが容易である。つまり、理屈ではなく感覚で楽しめるような企画が当てはまりやすい。
逆に長い場合。何かを語ることができる可能性がある。楽曲的にも色々と構成が練られていることも多く、サビが何度もあったり、展開が変わったりと「曲」が映像のシーンの移り変わりを求めてくる。演出家はその構成を最大限に生かして、物語だったり、展開を作っていく。