タイラダイスケ(FREE THROW)【生活と音楽 Vol.6】×西槇太一 [前編] 音楽に関わり続け、バンドマンからマネージャー、そしてまさかのカメラマンに

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(左から)西槇太一、タイラダイスケ

情熱とアイディアを持って「生活」と「音楽」を両立させている人にフォーカスを当てて話を聞いていく対談連載「生活と音楽」。
第6回目となる今回はカメラマン西槇太一さんのお話を聞いた。
彼のオフィシャルサイトを見ると、錚々たる面々の写真が目に飛び込んでくる。
しかし、実は彼がカメラマンを本格的に始めたのは33歳の頃。まだ4年強しか経っていないのだ。
自分が西槇さんと初めて会った時、彼はバンドマン。そして気が付いたらとある人気バンドのマネージャーとして裏方仕事をしていて、またまた気が付いたらプロのカメラマンになっていた。ある種特異に見えるそのキャリアの遍歴と選択の裏側には何があったのか。

Interview & Text:タイラダイスケ(FREE THROW)Photo:ともまつりか


 

タイラとバンドマン西槇太一の出会いについて

タイラダイスケ(以下タイラ):今日はよろしくお願いします。自分の話をまずさせてもらうと、俺が一番最初に西槇さんと出会った時、西槇さんはバンドマンで、俺は普通に客だったんです。西槇さんがやっていたバンド「左曲がり帝國」のライブを初めて見たのが多分八王子のライブハウスで、確か八王子RIPSだったと思うんですが、double face(※1)の企画を見に行って。

※1 2000-2008年に水戸や八王子を中心に活動していたロックバンド。2015年に活動再開。

<double face / 山なみ遠に春は来て>

西槇太一(以下西槇):うん。多分それRIPSだと思う。

タイラ:ですよね。そのあとに俺もDJをやり始めたり、個人でイベントをやり始めたりして。左曲がり帝國は俺の主催のイベントに出てもらったことは多分ないと思うんですけど、水戸SONICで大好きだった地元バンド、Alice Tea PartyとGet up and Goの共同企画で自分もDJとして共演もしていて。

西槇:あぁ~懐かしい!はいはいはい!

タイラ:その日にデモのCDとかも買いました(笑)。

西槇:ありがとうございます(笑)。

タイラ:ちょうどその頃俺はレーベル的に言うとDischord Records(※2)とか、いわゆるポストハードコアみたいな音楽がかっこいいなと思い始めた頃で、Q And Not U(※3)とかかっこいいなーと思っていて。

※2 アメリカワシントンD.C.のインディー・レーベル。ハードコア/パンクのバンドを数多く輩出した。

※3 Dischord Recordsを代表するポスト・ハードコアバンド。

<Q and Not U / Wonderful People>

西槇:おー、Q And Not U!かっこいいかっこいい。

タイラ:で、ちょうどその頃にSONICでライブを見た時、左曲がり帝国はもしかしてそういうものがエッセンスとして入ってんのかなっていう感覚で聞いていたりしたんです。音楽の知識を得ていく中で自分の中で合点がいったというか、「わかったかも!」みたいな。

西槇:鋭い!(笑)超懐かしいですね(笑)。

タイラ:左曲がり帝國はお世辞抜きでホントカッコ良かったですよね。なので1ファンとしての自分の話をまずさせてもらいました(笑)。

西槇太一

西槇さんの音楽との出会い

タイラ:ここからは西槇さんの話をお伺いしていきたいと思うんですが、楽器とかバンドとか始めたのはいつなんですか?

西槇:楽器自体は中学時代にギターを。でも実はそれまでは音楽がめっちゃ好きなわけではなくて。色々聴いて、もちろん良いなとは思いつつも没頭する感じではなかったんです。

タイラ:それを目覚めさせた「これだ!」みたいなルーツはあるんですか?

西槇:それは中2ぐらいの時に、姉ちゃんが友達から借りてきたThe Offspring(※4)の『Smash』ってアルバムですね。かけた瞬間にドカンときて。「めちゃめちゃかっこいいなこれ!」って。

※4 アメリカを代表するパンクロックバンド。『Smash』は彼らの3枚目のアルバムで、全世界で1300万枚を売り上げた大ヒット作品。

<The Offspring – “What Happened To You”>

タイラ:なるほど。いわゆるその当時のUSパンクの代名詞というか。

西槇:そう。あれがきっかけで、速くてちょっと切ないみたいな音楽が好きになったんです。でも周りに同じ趣味の音楽を聴いてる人もいなかったから他のバンドを掘るほど情報がなくて。だからとりあえずThe Offspringだけをずっと聴いているっていう感じでした。

タイラ:じゃあ、お姉さんが教えてくれてよかったですよね。

西槇:うん。それで一応ギター始めるんだけど、とは言えいきなりあんな速いのは弾けないから、まずはThe Beatlesのコピーから始めて。高校の一年生の夏から軽音楽部に入って、Hi-STANDARD(※5)のコピーバンドを組むっていうのがバンドに没頭するきっかけになりましたね。そこからもうHi-STANDARDにがっつりはまって。

※5 日本を代表するメロディック・パンクバンド。

タイラ:俺も西槇さんと同い年なんですごく分かります。『ANGRY FIST』(※6)辺りの時期ですよね。

※6 Hi-STANDARDの1997年発売のセカンドアルバム。

<Hi-STANDARD – The Sound Of Secret Mind>

西槇:うん。そこからはもう本当にギター漬けというか。なんで、高校はずっとバンドばっかやってましたね。大学ももちろん軽音学部に入って、聴く音楽もパンクだけじゃなくてノイズだったり日本のフォークソングにはまった時期もあったり広がっていって。ちょうどその頃たまたま御茶ノ水のディスクユニオンで見つけたTHE BACK HORNの『何処へ行く』(※7)っていうインディーズの頃のデモテープがきっかけでTHE BACK HORNにもどっぷりハマったんです。だから影響を受けたバンドで言えばThe Offspring、Hi-STANDARD、THE BACK HORNみたいな時系列かな。

※7 日本の4人組オルタナティブ・ロックバンド。2018年で結成20周年を迎える。『何処へ行く』は1999年にリリースされた彼らのインディーズ・デビュー・アルバム。

<THE BACK HORN – Running Away>

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