タイラダイスケ(FREE THROW)【生活と音楽 Vol.6】×西槇太一 [前編] 音楽に関わり続け、バンドマンからマネージャー、そしてまさかのカメラマンに

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(左から)西槇太一、タイラダイスケ

「音楽で食べていける側の人間ではない」という感覚があったバンド活動

タイラ:確かに左曲がりにはTHE BACK HORNにも通じるようなエモーショナルな感じもありましたもんね。左曲がり帝國の原型が出来たのはいつ頃ですか?

西槇:大学2年ですね。

タイラ:じゃあ二十歳ぐらいの時からやり始めて、左曲がり帝國は何歳ぐらいまでやったんですか?

西槇:結局いくつだっけなー?えぇと、25かな?

タイラ:じゃあ5年ぐらいですよね。当たり前なんですけど左曲がり帝國はその音楽のクオリティも含め、ものすごく本気でやってたバンドだと思うんですよね。

西槇:もちろん。でも、なんかその…もちろんすごく本気な部分はありつつ、ドライというか、「音楽では食べていけない」っていう感覚も常に自分の中にあって。もちろん食べていけるなら食べていきたいけど…自分は「食べていける側の人間ではない」っていう感覚は常に頭の中にあったかな。

タイラ:そうなんですね。その感覚は最初からあったものなんですか?それともバンド活動をする中で、色んな人やモノを見たり聞いたりして芽生えた感覚なんですか?

西槇:多分、その頃には既に音楽だけで食べるんじゃなくて、それこそ働きながらバンドをするっていう形というかスタイルの原型は周りにあった気がしていて、そういう人たちの影響もあったのかもしれないけど…でも元々自分自身は「人前で目立ちたい!」みたいな感じはあんまりなくって。

西槇太一

タイラ:単純にギターが好きで、音楽が好きで、バンドをやりたいっていう気持ちはあるけど?

西槇:ですね。でもそれで何千人の前で「わー!」ってやりたいみたいなのは想像出来なくて。「俺はそういう身分じゃないな」みたいな。昔から自分自身に自信を持って何かをできるっていうタイプではなかったですし。

タイラ:じゃあ結構最初から“音楽をする”っていう事と“音楽で稼いで生活する”っていうことはイコールにはなってなかったってことですね。

西槇:そう。そこがずっとリンクしてなくて。今バンドとして出してる音はかっこいいっていう自負は少なくともあったけど、でもそれがお金に繋がる感じがどうしてもしなくて。そんな話をメンバーにした覚えもあるし、メンバーからも「働きながら音楽やる事も別に悪くはないな」っていう話も実際に出ていて。

タイラ:バンドを結成した二十歳から大学生卒業するまでは普通に学校行きながらだと思うんですけど、卒業してからの活動期間も3年間ぐらいあるじゃないですか?その間はどういう生活だったんですか?

西槇:その間はバイトしながら。バイトしてリハやってライブやって、をもう延々と繰り返すっていう。ずっとそんな感じ。

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