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映像演出家・スミスの人生相談【きょうもスミスがかんがえた Vol.20】スミス、「昼」についてかんがえた
こんにちは。映像演出家スミスです。
もうすぐ梅雨がやってきますね。雨が降ると、いろいろ諦めがつく気がします。別に雨が嫌いなわけでもないんですが、東京のみなさんに等しく降り、あらゆるものをじっとりと濡らして、でも「だって雨なんだから仕方ないよ」と。だれも文句をいわない。とにかく平等な感じ。どんなに隣の芝生が青くとも、雨は降るんです。
撮影とは、被写体、アングル、ライティングと大きく三つの要素で構成されている。中でもプロとアマチュアの一番の大きい差が出るのが、ライティングだ。特に昼の外での撮影は何も考えずに撮影しているようで、もっとも光のことを考えていると言っても過言ではない。
昼の太陽の向きは、刻一刻と変化していく。位置もどんどん変わっていくし、雲が少しかかるだけでも見た目以上に変わってしまう。とにかくスタッフ全員が太陽の気分に合わせて撮影をしていかなければならない。
演出家も同じだ。企画をしているときの脳内はたいてい晴れている。しかもずっと。しかし現実は甘くない。たいてい「思ったのと違う」。青くない空をいかに爽やかに見せるか、雨が降り出しそうな現実を、どうやってライティングでごまかすかに腐心することになる。
昼の撮影のスケジュールは、太陽の動きに合わせて組まれていく。ロケ地にどのように太陽光が差し込むかを事前に確認して、アングルを計算する。心のどこかでは、「どうせ曇るんでしょ」と思いながらも。
とにかく天気はどうにもならない。こちらが希望する光は絶対にこないとわかっているので、偽物の枝木で光をさりげなく遮ってみたり、巨大なライトを持ってきて、擬似的な太陽を作り出すこともある。なんとか「思ったの」に近づける。あれやこれやいろんな手を尽くしていると、どんどんと時間がすぎて、肝心の太陽がなくなってしまう。晴れたら食事の時間も惜しんで、どんどん撮る。一時間後にはどんな空になるのか、誰もわからないからだ。