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情熱とアイディアを持って「生活」と「音楽」を両立させている人にフォーカスを当てる対談連載「生活と音楽」。
第13回目となる今回はロックバンド・ナードマグネットのギターボーカル、須田亮太さんに話を聞いた。
知っている人ならば、須田さんが会社勤めをしながらバンドをやっているというのは有名な話。実際に彼や彼の友人バンドマンのSNSなどではスーツ姿の須田さんの写真などもよく見る。いわば関西の社会人バンドマンの代表のような見られ方をする事もある彼の「生活」と「音楽」の価値観に迫った。
Interview & Text:タイラダイスケ(FREE THROW)Photo:石崎祥子
親戚の叔父さんのミックステープから始まった音楽人生
タイラ:今日はよろしくお願いします!まず須田さんの今の年齢からお伺いしてもいいですか?
須田:1986年10月5日生まれの32歳です。
タイラ:生年月日まで全部正確に言ってくれるんですね(笑)。生まれは関西ですか?
須田:そうですね。京都で生まれたんですけど、育ったのは滋賀県になりますね。今は大阪に住んでます。
タイラ:初めて意識して音楽好きだなーって思ったのはいつですか?
須田:僕、小学校の低学年くらいの頃からTVの音楽番組とかすごい好きで、J-POPのヒットチャート上位のやつはもう大好きやったりしたんですよ。車で両親と移動する時にラジオとかかかってたりするのもあって、ラジ
オでかかる曲とかもすごく好きでしたし。で、親戚の叔父さんがですね、元バンドマンやったんですよ。うちの父親の弟にあたる人がバンドマンやったってこともあって、定期的に今のおすすめの曲のカセットテープを作って送ってきてくれたりして。それは親父向けやったりとか、たまに僕にも聴かせようとして「どんなん好きなん?」って向こうから聞いてきて、そんなんも入れてくれたりとか。
タイラ:叔父さんが音楽を本当に好きな方だったんですね。
須田:そうですね。で、小4の頃とかは叔父さんにスピッツを勧められて、メチャクチャ好きでしたね。
須田:その頃、親父の仕事の都合で1年間カナダに住んでたんですよ。それで「日本の音楽恋しいかな?」みたいな感じで叔父さんも気を利かせてカセットテープを送ってきたりしてたんですよ。やっぱり日本語も恋しいんで、家族みんなでそれを聴いたりとか。10歳とか11歳とかそんくらいかな。
タイラ:テレビやラジオで流れていたり、叔父さんが教えてくれたりしてJ-POPを聴いていく中で、「これだ!」ってどハマリした音楽ってあったりしたんですか?
須田:えっと、帰国して小5、小6くらいの時期に、バンドがJ-POPのチャート上位に入ってくるようになってきたんですよね。例えばL’Arc~en~CielとかGLAYとかがワーッと出て来て、シングル3枚同時とか話題性もすごくて、ムチャクチャ売れてたんです。プログレみたいな曲がオリコンの3位とか(笑)。変な時代やったと思うんですけど、それもすごい好きで。僕ラルク大好きやったんですよ。で、ラルクがラジオの番組を持ってて、そこでみんなメンバーがRadioheadとかMUSEとかThe Smashing PumpkinsとかRed Hot Chili Peppersとか、好きな洋楽を色々かけたりするんですよね。そこからやっぱ洋楽とかも聴きたいなぁみたいになって。中学に入って、ちょっと背伸びしたくなったみたいなのもあって。
タイラ:L’Arc~en~Cielからある意味遡って洋楽を掘っていったみたいな感じですか?
須田:もうラジオでかかる曲で良かったらメモして、みたいな。
タイラ:エアチェックして。いい話っすね(笑)。
須田:昔ながらの方法で(笑)。
タイラ:それが中学生くらい?
須田:ですね、中1とかかなぁ。