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タイラダイスケ(FREE THROW)【生活と音楽 Vol.5】×會田洋平(えるえふる/ core of bells)[前編]「自分が100%やりたいこと、好きなことで生きていく」と誓った人生
タイラ:これちょっと話の大筋とはズレちゃうんですけど、何でそんなに体育祭が好きだったんですか?(笑)
會田:あぁ~体育祭は、もう、とにかく楽しくて(笑)。
タイラ:あはは(笑)。
會田:1学年9クラスあった高校だったんですけど、1クラス40人くらいいて、それが縦割りの1、2、3年で1つのチーム、つまり120人くらいのチームが9つあるみたいな体育祭だったんです。で、その中に仮装ダンスがあったんですよ。制限時間10分で、踊りや選曲、人の配置や衣装とか全部自分たちで考えるんです。でっかい5~6メートルもあるようなオブジェを設計から組み立てまでやったり。その内容を3年生が中心になって考えるんですよ。
タイラ:3年生が仕切りで1、2年も協力してやる、みたいな?
會田:そうです。それで1年生の夏休みにダンスを練習しに行ってみたら楽しすぎて、「俺、絶対に体育祭で優勝する!!!」って目覚めちゃって(笑)。ちゃんと1位から9位まで順位がつくんですけど、3年のときリーダーになって優勝したんですよ。それがずっと楽しい体験としてあって。
タイラ:なるほどなるほど。高校生くらいのときから、そういうモノを作ったり、リーダーとして旗を振ってやるぞっていう感じはあったんですね。
會田:そうですね。高校時代は本当に全く勉強しないで(笑)、体育祭で優勝することに頭も体も100%つぎ込んだんで、その3年間を通して、大好きなことを思いっきりやり切る楽しさを知ることができましたね。それで自分主導でイベントをやったりするのが好きというのはあるでしょうね。
28歳からの「空白の3年間」
タイラ:やはり根本的なところは変わってないってことでしょうね。じゃあちょっと話を戻すと28歳のときに、いわゆる脱サラをして。
會田:そうですね、脱サラですね(笑)。そこから正直2~3年くらいはもうどうにもならない状態というか。サラリーマンの時は初台に住んでたんですけど、1Kで家賃9万くらいの、まぁいいとこ住んでたんですよ。それを退職と同時に、小田急線の多摩川越えたあたりの家賃3万5千円のところに引っ越して。退職金と失業保険をフルに使って(笑)、で、週2~3くらい、出来る限り早い時間にバイトして日中動けるようにしてました。いつ誰かに呼ばれても身軽に行けような状態を作りたいと思って。そういう状態が2~3年続いてましたね。
タイラ:28歳で仕事辞めたときは次に具体的なプランとかがあるわけじゃなかったんですね?
會田:本当に何もなかったですね。
タイラ:漠然と「とりあえずこの環境じゃダメだ!」っと思って辞めたってことですよね。
會田:そうですね。土日はバンドやライブ観に行ったりで全部使うし、平日は仕事してるとやっぱりそれなりに疲れちゃうしで、結局辞めたときのことを考えて準備なんてできないな、って。で、「あ…やばい…俺、このまま流される…!!!」と思ってバッと辞めましたね。
タイラ:それすごい決意ですね、やっぱり。
會田:よく辞めましたよね(笑)。まぁ、でも正直なところ、収入が激減することよりか、思考停止してそのまま流されちゃう方が怖かったんだと思います。
タイラ:なるほど。その2~3年くらいの間は、音楽活動もしつつ、バイトをして。
會田:そうですね、かなりモヤモヤしてましたけど。
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