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タイラダイスケ(FREE THROW)【生活と音楽 Vol.7】×藤澤慎介(THISTIME RECORDS)[後編] THISTIME RECORSが提示する新しいレーベルの形
情熱とアイディアを持って「生活」と「音楽」を両立させている人にフォーカスを当てて話を聞いていく対談連載「生活と音楽」。
第7回目となる今回はTHISTIME RECORDS・藤澤慎介さんにお話を聞いた。
前編では藤澤さんの音楽的ルーツから紐づけられるバンド活動、THISTIME RECORDS設立まで。後編ではいよいよレーベルとしての初めてのリリースからレーベルが迎えた最大の危機、それを打開して現在のTHISTIME RECORDSの形になっていくまでのお話を聞く。
Interview & Text:タイラダイスケ(FREE THROW)Photo:おみそ
音楽業界不況の中でのレーベルスタート
タイラ:じゃぁ、いよいよレーベルの15年の歩みみたいなものを聞いていきたいんですけど、まず一枚目のスプリットを出した時の思い出とかはありましたか?
藤澤:合宿してレコーディングしたりしたのが楽しかったって思い出はありますね。その当時、日本の音楽業界自体が下降線と言われていて。「なぜ俺はそんな時期に始めてしまったんだ!」みたいな話もしてたけど(笑)。でも案外手応えはあって、割と売れたんですよね。
タイラ:「俺たちのレーベルが出来た!」っていうところで、「盤になって流通してCD屋に並んでる!」みたいなのはすごく感動しますよね。2作目はどんな感じだったんですか?
藤澤:その次はいきなり外国人のアーティストだったんです。Teenage Fanclub(※1)の元ドラムのポール・クインていうやつがいるThe Primary 5っていうバンドで。まぁ俺らからしたらレジェンドじゃないですか。回りまわって話が来て、「これはもうやるしかない」みたいな感じだったなぁ。これは大変だぞと。
※1 スコットランド/グラスゴー出身のオルタナティヴ・ロックバンド。
<The Primary 5 / What Am I Supposed To Do>
タイラ:じゃぁ2枚目にして藤澤さんのルーツや憧れでもあった海外の音楽と、仕事やレーベルが実際にリンクする瞬間が訪れたんですね。
藤澤:本当にそれでしたね。もう事務所にずーっといましたもん。
タイラ:「この人の為にとにかく音源を売るぞ!」っていう?
藤澤:はい。The Primary 5はちゃんとビジネスをガチっとやった人達だから、ギャラの部分とかやっぱり英語の契約書とか必要なわけですよ。だから色んな文献を読んで、友達にも聞いたりしながら頑張って作って、みたいな。ほんと大変だったから、たまに今でも夢見るんですよ。
タイラ:いまだに(笑)。
藤澤:時差あるんで毎日夜中にメールが来るんですよ。で、どうやって返そうって悩んで、でも舐められちゃいけねえって割とルードな感じで行こうとするんです。でもそうするとほんとに怒られるんですよ。最後にポール・クインに「お前のこと嫌いだ!」って言われましたからね。「俺は大好きなのに!」みたいな(笑)。でも結局なんとか日本盤をリリース出来て、売り切れたんです。
タイラ:売り切れたっていうのはすごいですね。
藤澤:インディーレーベル自体は多かったけど、みんな洋楽のリリースをあまりやってなかったんでしょうね。
タイラ:じゃぁそこで「海外の音楽も発売するレーベル」っていう認知も強くなって、洋楽のリリースも増えていった感じですか?
藤澤:3枚目のリリースはSKYBEAVERの1stフルアルバムで、そこからは結構洋楽でしたね。変な話、結構売れたんで、「あ、いけるぞ」みたいな。ぱーんと売れることもあったし、幼稚な資金繰りでしたけど、一応回りはじめて。だから2006年か2007年にはレーベルに専念する形になりました。
タイラ:じゃぁTHISTIMEが始まって2~3年くらいですね。それまではさっき話していたデザインの会社に勤めていたんですか?
藤澤:そうですね。辞める時は会社とケンカして(笑)。やっぱり仕事も楽しかったから結構頑張ったんですよ。でも営業とかでドデカい仕事を取っても待遇が全然変わらないっていうのがあって。
タイラ:なるほど。自分の頑張りが正当に評価されてないっていう風に思った?
藤澤:そうだし、自分のスキル的にもそろそろ限界かな?みたいなものも感じていて。やっぱり自分の一番はバンドやレーベルだし、デザインでは本物になれないっていう意識がすごくあったから。そこには怖さもあったし。
タイラ:逆にレーベルをやったり、バンドをやったりっていうことにはその怖さは感じなかったんですか?
藤澤:いや、だってやっぱレーベルもう最高に楽しいっすからね(笑)。楽しかったら辛くてもまぁ別にね。「これだけ頑張ったからこれだけ売れたんだ」みたいなのも実感できるから。
タイラ:なるほど。じゃぁ正当な評価をされていないと感じていたデザインの仕事よりも、レーベルの方がリアルだなっていう感じだったんですね。
藤澤:そう。リアルでしたね。
「気が付くと無意識のうちに毎晩泣いていた」レーベル最大の危機と転機
タイラ:THISTIME RECORDSを15年やってきた中での転機とかありましたか?
藤澤:それは2009年かなぁ。2009年にお酒で失敗してある人とケンカして。飲んでるときに話が進むこともあるから、ちょっと無理して飲んでた時期だったんですね。酔ってたんで記憶が曖昧なところもあるんですけど…。その件で結構みんなにそっぽを向かれて。仲間だと思ってた人たちが離れて、電話に出てくれなくなったりとか。「レーベル続けられないかもな」っていう考えすらもよぎるくらいで。ちょうどその頃嫁が出産で実家に帰ってたりしたんで、家でも一人で。
結構精神的にもやられてたんで、一人で夜こたつで海外ドラマとか見て寝落ちして、気が付いたら無意識のうちに毎晩泣いてるんですよ。朝起きたら涙の筋が付いてるんです。だいぶやられてましたね。SKYBEAVERもメンバーに活動への迷いが出てきた頃で、ちょっとスタイルを変えてやってみようとか、追いつめられた時期だったりして。
タイラ:じゃぁ周りとも少し距離感が出来ちゃって、バンドとしてもレーベルとしても存続の危機があったのが2009年だったんですね。
藤澤:それまではレーベルも調子が良かったし、これからレーベルをどうやって更に大きくしようとか、レーベルのトップとしてジャッジすることも多くて、立ち振る舞いの難しさとかに潰された時期でしたね。
タイラ:その時期からどうやって立ち直ったんですか?
藤澤:まぁでも、割とB型のお気楽野郎なんで(笑)。大変な時期ではあったんですけど、それでも深水含め「結構みんな信じてくれるじゃん」と思えた出来事もあって。まぁ立ち直れるまで1年くらいはかかったけどね。よくあるやつですけど、そこから1年酒飲まなかったし(笑)。
タイラ:立ち直れたきっかけは、藤澤さんの振る舞いが変わったってのが大きかったんですかね。
藤澤:それもあるかもしれないし、一回落ちたからこそ、自分の間違いも認められるようになって。今までは言うばかりだったのが、相手の話を謙虚に聞けるようになったりとか、そういうのはあったのかもしれないですね。