タイラダイスケ(FREE THROW)【生活と音楽 Vol.14】× NOLOV(JABBA DA FOOTBALL CLUB)(前編)「生活」の中で自然と湧き上がっていった「音楽」への渇望

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念願の上京とHIP HOPとの出会い

タイラ:で、いよいよ大学で東京に出てくるんですよね?念願の東京はどうだったっすか?

NOLOV:いやぁ、なんか何していいかわかんなかったんで、1年目はずっとゲームしてました(笑)。遊び方わかんなくて。

タイラ:何かサークルとか入ったの?

NOLOV:最初入ってて…バンドしようと思ったんですよ。でも全然趣味合わなくて。なんかボケても誰もツッコんでくれないし、こっちがツッコむとちょっと「う…」みたいになって、「東京、ノリ違い過ぎる、ダルイなー」って思って、バンドは結局やんなくて。で、写真部入りました。

タイラ:写真部!?

NOLOV:写真美術部に。

タイラ:急展開(笑)。

NOLOV:2つあったんですよ。写真部と写真美術部ってあって、写真美術部はどうやら活動しなくていいらしい、と。で、部室ももらえるっていうので入って。

タイラ:部室が欲しかったんだ?

NOLOV:はい。溜まり場が欲しくて。その当時の隣の写真部には写真家のチョウくん(※3)がいて。色々教えてもらったり。あとはその時、大学の同級生でめちゃくちゃヒップホップ大好きな大河としんぺいくんって男たちと仲良くなって、そいつが箱いっぱいにCD持ってきて、「とりあえずヒップホップ聴け」って言われて。トラックメーカーのBACHLOGICさんって方の関連作品をホント箱いっぱいに持ってきてくれて。NORIKIYOさんとかSEEDAさんとかバーッて入ってて、その中で全然BACHLOGICさん関係ないっすけど入ってたRAU DEFのCDを気に入って。「DREAM SKY」。で、めっちゃかっこいーと思って聴き始めて。

※3 カメラマンのCho Ongo氏。
HP:http://ongocho.com/
Instagram:https://instagram.com/cho_ongo?utm_source=ig_profile_share&igshid=1srrt9uvhkxrz

<RAU DEF – DREAM SKY>

タイラ:じゃあそこで、今までKICK THE CAN CREWとかRIP SLYMEとかは聴いてたけど、意識してヒップホップを聴くのはRAU DEFがきっかけ?

NOLOV:そうっす。RAU DEFかっこよすぎて。

タイラ:もちろん今まで聴いてきたものもちゃんと好きだったろうけど、その当時のRAU DEFは今まで聴いてきたものとはちょっと違う感じがした?

NOLOV:ぶっ飛んだっすね。あとNORIKIYOさんの「秘密」っていう曲とかもむちゃくちゃ良くて、「何だこれ!?」つって。その時ちょうど写真美術部の後輩に、またヒップホップめちゃくちゃ好きな女の子がいて、その子が「これ聴いてください」ってUSBいっぱいに曲入れてきて。それがどっちかっていうと90年代のヒップホップとか。ピート・ロックからMSCまで洋邦問わず、とにかくかっこいいのがごった煮で入ってて。そういうのワ―ッて聴かされて「ヒップホップってめちゃくちゃ面白いんじゃない?」ってなって。

ZineとParty

タイラ:じゃあ今までどっちかっていうとバンド寄りな気持ちっだったのが、周りの友達の影響で、「あ、ヒップホップって面白いかも」っていう風に思うようになったっていうことだ。

NOLOV:そうっすね。だから大学1~2年の時はずーっとThe Mirrazのライブ行ってたんですけど、それを境に、すごいクラブに遊びに行くようになって。それで自分でもパーティーやってみたいって思ってパーティー始めたんですけど。そこでBAOBABに出会うんすよ。

タイラ:あーなるほど。それこそBAOBABくんはBritish Pavilionとかの界隈にいたもんね。

NOLOV:BAOBABがいたMONT BLANCってバンドが超かっこいいって思って、他にもその時かっこいいなって思ったバンドを集めてDESEOの深夜で初めてパーティーやったんです。

<MONTBLANC – EXS24>

タイラ:深夜でやったんだ?

NOLOV:箱代安くて。箱代バカ高いから絶対Dayじゃ出来ないと思って。で、やったのが最初で、そこで今のBAOBABと出会って、すごい遊びに行くようになって。BAOBABがDJしてるパーティーだったらゲストで入れるじゃないですか。

タイラ:その時は、NOLOVくんは演者じゃなくて普通に主催だけやってたの?

NOLOV:そう、主催だけですね。一応賑やかしとしてDJもやったんですけど。全然自分が(演者として)出来ると思ってなくて。その時に、ちょっと言い忘れてたんですけど、平行してZine作ったんすよ。フリーマガジン作ってて、それも『SNOOZER』が終わったから、「『SNOOZER』終わっちゃったらつまんなくなっちゃうじゃん!」って思って、10代の頃の青い気持ちで「俺が雑誌作ったるわ!」みたいになって、Illustrator買って、イベントの出演者達に取材してZine作って。その発行パーティーですー、つってその初回のパーティーやったんすよ。だからずっと気持ちとしてはZineを作る人かつイベンターだったんすよ。

タイラ:じゃあそこが自分の音楽が好きだ、っていうところからアウトプットするっていう意味で言うと、一番最初のアイデンティティーだったんだね。で、そのイベントをやったりZineを作ったりしながら大学が進んでいく中で、ヒップホップをいっぱい聴くようになっていったと。今のイベントの話を聞いても、大学生活の当初はやっぱり高校時代までの名残っていうのがあるじゃん?そこからどういう風にリスナーとして聴く音楽の感じは変わっていったの?

NOLOV:そうですね…その頃にWEEKEND(※4)に出会ったんすよ。で、泉水さんとか加藤さんとかめっちゃかっこよく見えて、やっぱすごくスマートだったじゃないですか。自分は強面じゃないし悪くないから、ヒップホップは出来ないな、って思っていて。でもすごく音楽的にかっこよくて、かつウィットに富んだ表現をしてるWEEKENDに出会ってすごいファンになって。もうめっちゃかっこいーと思って。で、本人らと話すとその時期のWEEKENDってめっちゃ尖ってたんですよ、だから僕が彼らにインタビューすると、WEEKENDのメンバーは広告の仕事してる人間だったから、「どういう意図なのそれ?」みたいにムチャ聞かれたりとか。まじ怖くて。1回インタビューしたんですけどもう頓挫しちゃって。「何言ってるかわかんない。ちゃんと話そうよ」みたいな感じでめちゃくちゃ怒られて。「ちょっともう1回やらせて下さい」つって、もう1回話に行って、その時やっとちゃんと話してくれて。その後くらいから仲良くさせてもらうようになったって感じですね。だからすごいWEEKENDの影響受けたんです。

※4 MC泉水マサチェリー、MCモニカ、MC転校生の3MCによるヒップホップグループ。2013年1月に解散。

<WEEKEND – 大阪「ヘーマパルーザ2009」>

タイラ:それは大学何年生?

NOLOV:3年くらいじゃないっすかね。

タイラ:WEEKENDをすごい好きになったのは、Zineを作って行く中での出会いってことだよね?

NOLOV:そうですそうです。ちょうどOrlandとWEEKENDが出るイベントをTHREEで主催してたんですよ。それでZineの取材をやったんです。そっからめちゃくちゃ仲良くなっていった感じです。

タイラ:WEEKENDと出会って、いわゆる強面じゃないヒップホップとして「こういう事やってる人達もいるんだ」っていうのがわかったんだね。その時はまだ21歳くらい。そこからはどういう感じだった?

NOLOV:そこから…自分の友達の感じが変わったんですよ。それまでは写真美術部の人達と遊んでたんですけど、でも彼らは音楽とかそんな好きじゃなかったから1人で遊んでたんですよ。そしたら夜遊びしてる奴らと仲良くなっていって、そいつらと遊ぶようになってから、クルー作ろうぜみたいな話になったんですよ。で、ちょうどその時WEEKENDがTOKYOHELLOZっていうポッセ(※5)を作ってたのもあって、「俺もポッセ作りてぇー!」と思って、それでNXNG(※6)を作るんです。

※5 ヒップホップ用語で「仲間」の意味。
※6 NXNG Tumblr:http://nxng-the-posse.tumblr.com/

タイラ:あーなるほど!じゃあその時にできるんだね。

「俺もラップしたいっす!」から始まったJABBA

NOLOV:NXNGを始めて、ずっとイベントもやってたし、ワーワーしてたんですけど、パーティーして楽しいけど、何か物足りないなー、ラップ出来んならしてーなーと思っていて、そのタイミングでBAOBABが自分のソロ出すって言い始めて、「俺もラップしたいっす!」って。お察しの通りオレ、めっちゃ調子乗ってたんです(笑)。そこで一緒にやらせてもらってからJABBAが始まっていくんですよ。

タイラ:それは大学4年生くらいの時?

NOLOV:そうです。4年生の時に始まって、それと並行してNXNGがずっとあって。

タイラ:NXNGは「何をするぞ!」っていう明確な目的はあったの?

NOLOV:Odd Future(※7)がドーンとでてきたタイミングで。「うわ、これじゃん!」みたいな。クリエイトしてる人達が集まってる集団みたいなのがすごく作りたくて、ちょうど周りの奴らがそんな感じだったんすよ。DJもいれば、写真やる奴も沢山いたから、「出来んじゃん!俺らで」って。「秘密結社みたいなの作ろうよ!」みたいな。

※7 Tyler the creatorをリーダーとする、2007年に結成されたオルタナティブ・ヒップホップ集団。

<Tyler The Creator – Yonkers>

タイラ:秘密結社って言った瞬間にいきなりなんか安っぽくなる(笑)。

NOLOV:なんか悪ふざけみたいな事いっぱいしてたんですよ。でもそいつらと出会ってから本格的にNXNG固まってきて、JABBAも活動が始まったから、そのタイミングでちょうど2014年の末に…卒業する直前だと思うんですけど、下北沢BASEMENT BARと下北沢THREEで往来自由のパーティーするんですよ。それがYkiki Beat、Suchmos、YOUR ROMANCE、とGrovesっていう友達のやつがいて。TOKYO HEALTH CLUB、CBS、パブリック娘。に僕達、みたいなパーティーをして、それがすごいキッカケで、そのくらいから「ちゃんとJABBAをやろう!」みたいな。

タイラ:それは初ライブ?

NOLOV:いや初ライブはもうちょっと前。パブリック娘。と知り合ったくらいの時に初ライブをやってますね。

タイラ:じゃあBAOBABくんのソロにラッパーとして参加するっていうのがキッカケで、JABBAの原型みたいなのが出来て、他の2人とはどういう知り合いだったの?

NOLOV:ASHTRAYは大学の先輩で。仲良くはなかったんすけど、ヒップホップが好きっていうだけで繋がって、家に招いて。マジで仲良くなかったし、喋ることないから、KREVAのインスト流しながら2人っきりでずっとフリースタイルして、最近あった事を全部ラップする、みたいな最悪の状況(笑)。で、ふたりとも緊張しちゃってガンガン酒飲んで。

タイラ:それはJABBAを一緒にやろうよ、っていうのを相談するために家に招いたってこと?

NOLOV:JABBAと並行して、もう1個違うグループを遊びでやってたんですよ。先輩からMPC貰ったりして、なんか始まりそうだったんです。で、ASHTRAYに声かけて「ちょっとうちで遊んでみない?」みたいな。で、2人で曲作ってみたりとかして。

タイラ:ASHTRAYくんがヒップホップ好きなのは知ってたから、仲良くはないけどやってみようっていう事ね。なるほど。

NOLOV:で、やってみて、4曲くらい作ったんですよ。でもその後1回疎遠になるんです。連絡取らなくなって。ROVINは地元でヒップホップをやってて、その音を共通の友人から聞かされて、「ROVINむちゃくちゃラップ上手いやん。コイツに会いたい!」つって、俺が会わせてもらって。会わせてもらった後に、「一緒にライブしたいんすけど!」みたいな話をしてたんですけど、でも当時JABBAはあんまり動けなかったから、ROVINのクルーと、俺の周りのやりたい奴ら集めて8人くらいでライブしたんすよ。その時に、やっぱダントツラップ上手かったのはROVINで、俺らの周りの寄せ集めの中で良かったのはASHTRAYだったから、「3人でやんない?」って相談したんです。

タイラ:なるほどなるほど。じゃあその8人の中から選抜したんだ(笑)。

NOLOV:そうそうそう。同時にJABBAが始まってて、2曲くらい作って、OMAKE CLUBから最初のFREE DOWNLOAD EP(※8)を出すんですよ。その時のJABBAはBAOBABと自分の2人時代。でもその時BAOBABはずっとバンドをやってたからあんま動けなくて、「つまんないから3人でやっちゃおうぜー」って3人でやり始めたんですけど、曲作れるのBAOBABしかいなかったから、結局「ちょっと曲作れなくて…」つって3人がすり寄っていって今の4人になるっていう(笑)。

※8 2014年にリリースされた「Galaxxxy E.P.」。
http://omake-club.com/free_dl/galaxxxy-e%E2%80%8B-%E2%80%8Bp/

タイラ:じゃあBAOBABくんの最初の立場的には、メンバーではあるけどプロデューサーとかトラックメイカー的な役割をしてたんだね。

NOLOV:だからJABBAがちゃんと今になるまでは計3グループくらい誕生してたんですよ。全部僕が関わってるんですけど、俺は尻軽っすよね、完全に(笑)。それぞれ3人に抱かれることを繰り返して。でもあの人たちには才能がめっちゃあったから。俺はラップ超ヘタクソだったし、今でも作曲できないし、バイブスだけで生きてたんで、そいつらに「やろうやろう!」って行くみたいな。才能ある奴らを引っ張ってきて、「行けんじゃね?」って言って。

タイラ:Zine作ったり、イベントやったりって経歴で言うと、NOLOVくんはきっと「旗を振れる人」だったんだろうね。だからスキルとか、知識だったり技術っていうのはないけど、とりあえず旗振るのは得意で「みんなー!こっち行くぞー!」っていう(笑)。でもグループにはそういう人がいないとね。そして、それは言っちゃえば、今も続いてるよね(笑)。

NOLOV:そうそう、ずっと旗振り。ずーっと(笑)。ヤンヤ言いながら旗振ってるんすけど。

<JABBA DA FOOTBALL CLUB – 月にタッチ>

後編へ

PROFILE

タイラダイスケ(FREE THROW)

タイラダイスケ(FREE THROW)

DJ。
新進気鋭のバンドと創り上げるROCK DJ Partyの先駆け的な存在であるFREE THROWを主催。
DJ個人としても日本全国の小箱、大箱、野外フェスなど場所や環境を問わず、年間150本以上のペースで日本全国を飛び回る、日本で最も忙しいロックDJの一人。

レギュラーパーティー
毎月第二土曜日@新宿MARZ「FREE THROW」
毎月第四金曜日@渋谷OrganBar「Parade」
毎月第一&第三水曜日@赤羽Enab「Crab」

<Twitter> https://twitter.com/taira_daisuke
<FREE THROW> http://freethrowweb.com/

PROFILE

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NOLOV(JABBA DA FOOTBALL CLUB)

JABBA DA FOOTBALL CLUBのリーダー。中肉中背。
抜群のカリスマ性を持つグループのフロントマン。
グループのまとめ役で、ジャバの頭脳として機能。
本当によく喋る。

<Official Website> http://jbfc.jp/

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