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そもそも海外でのDJツアーは、実力や人気があるからといって、そう簡単にできるものではない。どのようにしてU.S.ツアーを行うことになったのか。彼女にその経緯を聞いてみた。
「去年、知り合いのバンドのU.S.ツアーに通訳として同行したことがあったんです。その時にNY、SF、LA、ボルチモア、そしてSXSWに行ったんです。その行く先行く先でいろんな人と知り合っていって、その時に今回ツアーを組んでくれたプロモーターにも出会ったんです。その人から”日本人のDJをツアーで呼びたいんだ”って連絡がきて、それから一気に話が進んだんです。時期がちょうど3月だったからSXSWに試しに出演の応募をしてみたんです。そしたら年末ぐらいに出演決定の連絡が気たんです。それでツアースケジュールをSXSWに合わせて組んでいったんです」
SXSWの出演の応募は誰でもできるものである。自身の音源はもちろん、ミュージシャンとしての経歴やプロフィール、さらに自分が出演することによりどのようなプロモーションができるのかが問われる。当然、偶然や運で決まるものではない。RSの実力があっての出演だ。
「このツアーを通して一番感じたことは、現場に行くっていうことの重要さだったなって思うんです。一度、お金も時間もしっかりかけて昨年現地に行ったからこそ繋がった人たちで、だから実現できたツアーだなって。やっぱりそう簡単にツアーとかはできないもの。出たいライブがあるなら、まずはその現場に行く。絶対に出たいって気持ちがあれば現地に行ってそこの人と話すし、話せば引き寄せるって思うんです。それが一番夢を叶える近道だなって。あとは自分の音源は常に持っておいた方がいいってこと。出会った人にいつでも聞かせられるように」
純粋に音楽が好きで踊りたい時に踊る。それが根付いてるU.S.のクラブは理想
RSはこのツアーでのプレイを「いつも通りの選曲で、日本でやっているようにプレイする」ということを徹底したという。それは自分が今までやって来たことが認められるのか。信じてきたスタイルが通用するのかというチャレンジでもあった。
「ロンドンに行った時に衝撃を受けたダブステップ。そこから一気にベースミュージックに目覚めて、2014年のフジロックでAgoria(アゴリア)のDJを聴いて知ったテクノ・ハウスのグルーブが持つ何時間も掛けてわかる”4つ打ちの美学”にガッツリ食らって。それを自分なりに研ぎ澄まして作ってきた今のスタイルが認められるのか試したかったんです。日本のクラブでは自信持ってプレイできてたけど、それはあくまでも日本人ばかりの中で。世界で出て通用するのかっていう不安があったんです。一回やってみないとなって思っていたのが今回実践できるタイミングだったんです。だからU.S.だからとか、NYだからとかそういうのは意識しないでやりましたね」
結果、どのクラブでも最高潮に盛り上がりツアーが大成功だった。
「すごく自信がつきました。特にSXSWでは世界中の人が集まっていて、しかもそれがテクノやベースミュージックを聴き慣れている人だけじゃなくて、バンド好きをはじめ普通に働いている人や主婦みたいな人なんかもいて。いろんな人種の人を躍らせられたなっていうを目の当たりにして、自分がやってきたことが証明されたという感じでした。自信が出たことによって視野も広くなりました。それに日本での見られ方とかも気にならなくなりましたね。マイペースに活動していく大切さを学べましたね」
確かな手応えと自信を得たU.S.ツアー。国柄や観客に一切媚びずに自分のプレイスタイルを突き通したRSだからこそ、得たモノなのであろう。そこには、日本、ロンドン、U.S.と大きく3つの国でDJとして音楽に、そして自分自身と向き合ってきた彼女の言葉には信念のような物さえ感じられた。