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情熱とアイディアを持って「生活」と「音楽」を両立させている人にフォーカスを当てる対談連載「生活と音楽」。
第13回目となる今回はロックバンド・ナードマグネットのギターボーカル、須田亮太さんに話を聞いた。
前編では彼の音楽の目覚めからギターを持ち、バンドを結成し、そして大学を卒業して社会人バンドマンになるまでの話を聞いた。厳しい職場環境から反比例をするように純粋な楽しさを感じるようになっていったバンド活動は、生活環境とともにまた様々な状況変化をしていくことになる。
Interview & Text:タイラダイスケ(FREE THROW)Photo:石崎祥子
「もう俺の好きなようにやるぞ!」という決意と、仕事の状況変化から好転していったバンド活動
タイラ:大学卒業から仕事で3年半福井にいて、25~6くらいの時に関西に帰ってきたんですよね?そこからは移動がない分バンド活動は楽にはなりました?
須田:そうですね。ガラッと変わりました。ちょっと前後するんですけど、福井から帰って来る時代の時に、うち年齢差もあって、メンバーに留年してる奴とかもいたから、卒業するタイミングもずれてくるんですよ。で、当時のギターの奴も就職して、今度は福岡に勤務になると。最初のうちは新幹線とか夜行バスとかで帰って来てたりしてたんですけど、「もうさすがに無理や」ってなって、それで初代ギターが辞めちゃうんです。で、同じくらいの時期に僕は、今のナードマグネットの音楽性をちょっとずつ見つけ出して、パワーポップ(※1)な路線に行き始めてた頃で。だから、メンバーも変わるし、ここで心機一転して自分のやりたい、自分の今思ってる方向性に一気にシフトしてみようかなって。それでああいうパワーポップな曲を何曲か書いてったんですよね。
※1 ポップなメロディライン、力強いギターサウンドが特徴的なロックの形態の一種。代表的なバンドにWeezer、Teenage Fanclub、Fountains Of Wayneなどが挙げられる。
タイラ:須田さんが25~6くらいの時っていうことは、今から6~7年前ですよね?でもその頃って海外のシーンも含め、パワーポップみたいなものは特別盛り上がってた訳じゃないじゃないですか。それは、須田さんが今まで聴いてきた音楽の中で「あぁ、俺はこれがやっぱり一番好きなんだ」と思ったってことですか?
須田:そうです。元々高校の時にもうWeezerは大好きで衝撃を受けていて、そこから派生して、それこそTHISTIME RECORDSがやってるPOWERPOP ACADEMY(※2)の音源を聴いたりとか、いろいろ聴き漁ってはいたんですけど。ギターが辞める1年くらい前に出会った大阪のバンドで、ホンマに日本語でWeezerみたいなやってるバンドがいたんですよね。当時はエニクスパルプンテっていう名前でやってて、その後メンバーが変わって上京して、ユナイテッドモンモンサンっていう名前になったんですけど。そのバンドの前身がそんな感じやったんですよ。で、「えっ、Weezerみたいな事やってる!これめっちゃ良いやん!」って。で、そのバンドが大阪のeo Music Try(※3)って毎年やってるコンテストイベントの2010年度で優勝したんですよ。「うわ!俺のメチャメチャ好きな路線でやってた人らが評価された。大阪のコンテストで勝ってる」って、めっちゃ悔しくなって。俺もこんなん好きやし!と思って、それでだんだんちょっとずつそういう曲を書き始めたんですよ。で、2011年に僕らもそのeo Music Tryに出て、その時は初代のギターの時なんですけど、決勝まで行ったんですね。全然優勝は出来なかったんですけど。
※2 THISTIME RECORDSが主宰する日本唯一のパワーポップ専門情報サイト。
http://www.powerpopacademy.com/
※3 関西で活動中のすべてのアーティストを応援する関西最大級の音楽コンテスト
https://eonet.jp/musictry/2018/
タイラ:でもそれはそれまでのナードマグネットっていうバンドの歩みから考えると、ひとつの大きい対外的な評価を受けたっていう感じですよね。
須田:ちょっと人目に触れる機会が増えたかなっていう。で、そのタイミングでのギターが「もう俺辞めたい」っていう話やったんで、その後KANA-BOONが優勝したKi/oon Recordsのオーディション(※3)にその路線で旧メンバーで出て、決勝まで行って、関西でKANA-BOONとシナリオアートと僕らの3組だけ残ったんですよ。そこまで行けたし、なんかこの路線でやってったら行けんちゃうの?っていう時にメンバーが辞めるって言い出したから、「もうじゃあ俺の好きなようにやるぞ!」ってなって。
※4 Ki/oon Recordsの設立20周年を記念した新人発掘オーディション「キューン 20 イヤーズオーディション」の事。
タイラ:なるほど。逆にそこでギアがひとつ入ったんですね。
須田:で、そのKi/oon Recordsのオーディションにわざわざ東京まで今のギターの藤井が観に来てたんですよね。次の日小沢健二のライブ観に行くっていう、そのついでやったと思うんですけど、もうその時すでに仲良かったんで、誘って、そこからですね。そのタイミングで今のメンバー体制になって、僕も大阪帰って来て。大阪では営業じゃなくて内勤になったんですよ。保険を売る側じゃなくて、払う側(笑)。入院とかの給付金を払う側になったんですよ。そうなるとあんまり残業もなくなったんです。
タイラ:そうすると、働きながらバンドがもっと出来るぞっていう?
須田:しかも大阪の市内の会社やったんで、やりようによっては平日でもライブできるなぁ、ってなって。
タイラ:リハなし、出番遅めなら(笑)。
須田:そっからもうリハなし遅めスタイルが根付いていったんですよ。そしたらもうライブの本数が3倍くらいになって(笑)。路線も変わった時期やったんで、結構今まで出てなかったライブハウスとかも出るようになって、そしたらすごい気に入ってもらえたんですよ。その路線になったお蔭で結構仲間が増えていったというか、今までにないくらい仲間が増えていったっていうのがあって。そこからすごく活動が軌道に乗ってったかなっていう感じ。
タイラ:大学時代のなんかちょっとクサクサした気持ちだった感じから、いろんなものが軌道に乗っていったんですね。でもそれはバンドで出してる音楽とか表現というのが、要はパーソナリティに近いものですもんね、歌詞とかも含めて。だからそれが認めてもらえるっていうのは、イコール「自分自身が認めてもらえてる」っていう気持ちもあるかも知れないですね。
須田:それで1回またモチベーションを持ち直した感じはあります。消えかけてたのが就職して、音鳴らすの楽しいっていうのでちょっと上がって、でもなんかそれもやっぱ大変になってきて、メンバー抜ける!ってなったけど、またそこで盛り返したみたいなのはありますね。
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